全国の神社の社号として使用される名称は「神宮」や「大社」など複数ありますが、その中でも「神宮」という名称は皇室とゆかりが深くとても格式が高い神社にのみ与えられる社号です。大分県宇佐市にあるこちらの宇佐神宮も、古くから皇室と関わりが深く、それだけでなく全国に約4万社あまりある八幡社の総本宮でもあります。
その背景に相応しい広大な敷地を持ち、その社叢(しゃそう=神社の森、神社に茂る木々)は天然記念物に指定されています。八幡大神様の鎮座から1300年を迎える非常に長い歴史を持つ神社として、地域の方々の憩いの場として親しまれています。
今回は、八幡社総本宮としての見どころと神社の特徴や歴史について詳しくお聞きし、この神社ならではの伝統行事もご紹介します。
宇佐神宮とは

今からおおよそ1450年ほど前、応神天皇の御心霊であるとお告げをされた八幡大神。その後宇佐神宮の主祭神としてお祀りされるようになり、現在に至るまで宇佐市の町の平和を見守ってきました。
私たちが普段“当たり前”だと思っている出来事の全てには、始まりがあります。京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮に先駆けて建立された宇佐神宮は、八幡社の始まり、さらにはお神輿発祥の神社でもあります。また、紙と仏が融合した文化・神仏習合の始まりにも縁が深く、様々な文化のスタート地点のような神社です。全国でも貴重な八幡造のご本殿を持ち、境内の社殿は全て国宝や重要文化財、有形文化財などに指定されている貴重な建物です。上宮と下宮という2つの空間に参拝することでより強いご利益を受けることができるかもしれません。
由緒と伝統ある神社でありながら、時代のニーズに合わせ様々な方が訪れやすいよう、一部の空間をバリアフリー化するなど時代と共に歩んでいます。古来より伝わる伝統行事も守りながら、地域の方と共にその歩みを進めている神社です。
【宇佐神宮 特別インタビュー】

皇室からも崇敬を集めてきた八幡大神。その背景は、東大寺の大仏様建立や弘法大師空海、鎌倉幕府を開いた源頼朝など誰もがその名を知っている著名な人物や出来事と深く関わっています。
それはつまり、日本の歴史と八幡大神が深く関係しているということでもあり、八幡大神の存在がなければ成立しなかった文化や宗教があるということです。この国にとって欠かすことのできない神様・八幡大神を祀るこの神社の魅力をたっぷりとお届けします。
全国の八幡社の総本宮。皇室とも縁の深い格式高き神宮。


こちらは大分県宇佐市にある神社様ですね。朱塗りの社殿と広大な敷地が非常伊人称的ですが、まず宇佐神宮様の歴史や由来などについてお聞きします。神社の創建はいつ頃になるのでしょうか。



創建は725年ですが、始まりの歴史を辿るという意味では571年、おおよそ1450年前になります。現在宇佐神宮のそばに菱形池(ひしがたいけ)という池があるのですが、その池の畔(ほとり)に八幡大神様が3歳の男の子の姿で現れ「自分は応神天皇の御心霊で八幡大神である」というお告げをされたことが神社の始まりです。それが571年のことで、その後宇佐神宮の社殿に鎮座されたのが180年ほど後の725年です。その年に宇佐神宮として社殿が造営され、八幡大神様が鎮座され創建となりました。



1300年ほどの歴史があるということですね。非常に長い歴史を持つ神社様であると共に、全国4万社あまりある八幡社の総本宮とお聞きしましたが、こちらについて詳しくお聞きできますか。



はい。神社は全国に約11万社あり、そのうち約4万社あまりが八幡社となりますが、当社はその総本宮で、全国の八幡系列(八幡様をお祀りする神社)の大元がこの宇佐神宮です。



非常に由緒ある神社様なんですね。皇室からも伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟(そうびょう=皇室の先祖を祀るみたまや)として崇敬されているとのことですが、昔から皇室とも深い関わりをお持ちなのでしょうか。



そうですね、ありがたいことに現在も交流を続けさせていただいています。皇室との関わりで最も分かりやすい歴史として残っている記録は、奈良の東大寺の大仏様建立にも八幡大神様が関わられているというお話です。東大寺の大仏様は当時の聖武天皇が国家をより良くするために建立したものですが、建立のための材料が足りず悩んでいたとき、八幡大神様から「必ず金や銅が出るのでそのまま建立を進めなさい」というお告げがあり、そのとおりに進めると見事大仏様の建立が叶ったため、聖武天皇が八幡大神様を崇敬されるようになったと言われています。すると、東大寺の近くにも神様の力にあやかろうと八幡大神様を祀る神社が建てられ、次に京都の石清水八幡宮など八幡系列の神社が都のある場所に建てられるようになりました。



八幡系列神社の始まりの場所というわけですね。石清水八幡宮創建と八幡大神様との関係はどういったものだったのでしょうか。



石清水八幡宮については、真言宗の開祖である弘法大師空海が唐へ仏教の修行に行かれた際、1度目は難破して九州に戻ってくるのですがその際に宇佐神宮へ出向かれ、唐への航海の無事を祈願します。すると2度目の航海は無事に終えることができ、八幡大神様のおかげだと崇敬されるようになり空海の弟であった僧侶の方が八幡大神様よりお告げを頂き石清水八幡宮を建立されました。そういった神と仏教の融合という神仏習合の流れがあり、八幡信仰は広がっていきました。石清水八幡宮に次いで建てられたのは、鎌倉市にある鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)です。時は鎌倉幕府、源氏と平氏の時代に突入します。源氏の流派の一つであった清和天皇を祖先とする氏族であった清和源氏は長きにわたり石清水八幡宮を氏神として崇敬してきました。その清和源氏が源平合戦で勝利し幕府を開いたため、八幡大神様への崇敬もさらに強くなり鶴岡八幡宮の建立に至りました。その動きを見て、「幕府を開いた源氏が崇敬するほどの神」ということに感銘を受け、地方の豪族などがこぞって八幡神宮を各地に建立し、結果として全国4万社あまりという神社系列の中で最も多い神社の種類として成立してきました。



本当に総本宮と言われるだけの所以がある神社様なんですね。現在、皇室との関わりはどのように保たれているのでしょうか。



現在は10年に一度「勅祭(ちょくさい)」という祭典があります。これは天皇陛下の勅使の方が参加されるお祭りで、その祭典を行っている神社は全国で16社あり当社はその1つです。九州では宇佐神宮と福岡市にある香椎宮(かしいぐう)の2社のみで貴重な存在でもあります。2025年はちょうど10年に一度の年にあたるため、秋の勅祭には勅使の方が来られる予定です。



現在でも繋がりを大切にされているんですね。この勅祭はいつからある祭典なのでしょうか。



始まりは720年のことで当時は年に一度行われていたようですが、南北朝時代以降に400年ほど中断している時期があるんです。そして時を経て江戸時代に復活し、そこから10年に一度のスパンになったようです。今回の勅祭で258回目を迎える歴史のある祭典です。
上宮・下宮に見どころ満載。上宮にはパワースポットの御神木も。





では、この神社の特徴や見るべきポイントはどういったところでしょうか。



当社は境内がとても広く約15万坪、東京ドームの10倍の規模を誇っています。参拝に来られる方は1時間以上をかけてお参りしていただくことが多く、とても壮大な景観となっています。神宮内には、上宮(じょうぐう)と下宮(げぐう)があり、上宮に八幡大神様をはじめとする神様をお祀りしているご本殿が3殿ありいずれも国宝に指定されています。社殿は八幡造という建築様式で3殿を順番にお参りしていただき、上宮の奥にはパワースポットとしても知られる御神木の大楠の木があります。こちらには、有名な芸能人の方も来られることがあり御神木に手を触れるとその方がブレイクしたというお話もあります。



上宮だけでも魅力的な部分が多そうですが、下宮はどういった環境でしょうか。



下宮には上宮と同様に八幡大神様の社殿が3殿あり同じ神様をお祀りしていますが、これはかつて、上宮と下宮でお参りする方を分けていたからなんです。上宮は皇室など一般の方ではない方がお参りされ、下宮は一般の方がお参りされる場所でした。現在ではそういった区別はなく、どちらも参拝していただけますので上宮へ参拝してから下宮へ来るという流れになっています。現在では「下宮参りゃな片参り」という言葉があるほど、上下どちらも参ることが一般的となっています。



なるほど。参拝する方への区別がなくなり、全ての人が自由に参拝できるようになったんですね。



また、見どころという意味では冒頭に申し上げた菱形池があります。571年に八幡大神様が最初に現れた場所が菱形池の畔なのですが、そこは現在御霊水と呼ばれる場所で井戸が設置され今も水が湧き出ているパワースポットです。神様が現れたという霊験あらたかな場所なので、そちらにもぜひ立ち寄ってほしいです。御霊水の水は現在も祭事に使用しており、神宮内で毎日神様にご飯をお供えする時には必ずその水を汲んでお供えをしています。また、大分県内の酒造会社様などが醸造の祈願をされる際にも御霊水を少し汲み、その何滴かを加え美味しいお酒ができるようにと祈願する祭典も行っています。





現在でも活用されているというのはすごいですね!冒頭で敷地が印象的だという話もしましたが、本当に広いですね!一つの立派な森が広がっているように見えますが、ここが全て神社というは非常に大きなスケールだと思います。また、社殿の並び方が特徴的ですね。



ありがとうございます。本殿は3殿並んで建っていますが、一般的にはこういった場合、真ん中の社殿に主祭神となる神様がお祀りされ真ん中からお参りすることが多いのですが、当社は左から順番に一之御殿、二之御殿、三之御殿となって一之御殿に八幡大神様、二之御殿に比売大神様(ひめおおかみ)、三之御殿に神功皇后様がお祀りされています。これはこの3棟が別々の年代に建てられたことにも由来していると言われています。1の御殿の建立は725年、2の御殿は733年、3の御殿はそこから約100年後の823年です。そうした別々の年代に左から順番に建てられたため1番左に主祭神の神様がお祀りされている、そう伝わっています。参拝に来られた皆様にも左から順番にお参りいただければと思います。
伝統建築とバリアフリー。古きを守り、時代と共に進化する。





では、神社建築の特徴や周辺景観についてお聞きします。先ほど八幡造のお話が出ましたが、これはどういった特徴の建築様式でしょうか。



八幡造は切妻造り(きりつまづくり)という、ハの字形の社殿を前後に2つ並べる造りです。横から見ると屋根がM字形になるのですがその屋根の形が最も特徴的で、M字形の中心に金の雨樋(あまどい)が渡されています。白い壁に朱塗りの柱が施され、屋根は最高級の桧皮葺(ひはだぶき)を使用し、正面の参拝する面に掛けられている格子型の扉も特徴的です。建物の高さは約9m、横幅は約10mで手前側を外院(げいん)、奥側を内院(ないいん)と呼んでいます。外院の中心には参拝者を見るように椅子が置かれ、内院には御帳台(みちょうだい)という、今で言うベッドのような物が置かれています。日中は手前の外院で椅子に座ってお仕事をされ、夜には内院の御帳台で休まれる、という意味の造りです。内院は神職の中でも宮司しか入ることができないプライベート空間で、とても神聖な場所です。祭典時にはご本殿の内側から清掃を行いますが、権宮司以下の職員は外院までしか清掃できず、内院は宮司のみが入り清掃します。



本当に特別な場所なんですね。他に八幡造を採用されている神社様はあるのでしょうか。



多くはありませんが、石清水八幡宮さんや、大分市にある柞原(ゆすはら)八幡宮さんという神宮も同じ八幡造です。また、広い社叢(しゃそう)は全て天然記念物に指定されており、文化財的価値のある建物です。本殿は国宝に指定されているので価値あるものですが、この社叢は本当に貴重で来られた方もやはり「少し空気が違う」と感じられる方も多いようです。



こういった緑が多い場所に来るだけでも気持ちが違いますよね。周辺は街中、というよりは少し長閑な場所でしょうか。



そうですね、町の中心地ではありませんので、駅からのアクセスはタクシーやレンタカーを利用される方が多いです。



神宮内にはモノレールも用意されているんですね!これは珍しい設備かと思います。





ご本殿の前にある100段階段という階段の下あたりにモノレールを設け、そこからエレベーター形式で上がっていただくことで、階段を一切使わずに上宮にお参りいただけます。やはり駐車場から参拝する場所までは徒歩15分ほどと離れているので、車いすやベビーカーで来られた方もスムーズに行けるようにそうした設備を施しています。モノレールに至るまでの道のりも全て舗装してバリアフリー空間にしています。もちろん、多くの神社様などで見られる砂利の地面などにも砂利で心を清めるという意味があり大切にされるべきものですが、時代の流れと共に様々な参拝者様のニーズに合わせていく必要もあります。変えられるべき部分は変え、様々な立場の方に訪れていただきたいです。
小学生~実行委員会まで、地域住民の協力も厚い神社。



では、神社様と地元の方にとっての交流についてお聞きします。地元の方は多く参拝に来られますか。



そうですね、来られるのはもちろんですが、秋の放生会(ほうじょうえ)というお祭りの際には特にご協力をいただいています。このお祭りは元々720年に起きた隼人の反乱軍を鎮めるために始まったお祭りで、そのお祭りで地元の小学生にお囃子の列をなして歩いてもらっていいます。また、秋の祭典のみならず夏には三基の神輿が出て、地元の方が協力してくださり祭典を行っています。そういったご協力のおかげで、お祭りが盛り上がり多くの方に来ていただける祭典になっています。



地元の方との関わりが深いのも素敵ですが、委員会があるというのはすごいですね!



そうですね、秋の放生会、そして夏祭りでも実行委員会の方や商工会議所の方々にご協力をいただいていますし、今年は勅祭の年であると同時に725年の八幡大神様鎮座から1300年となる節目の年なので、県にもバックアップしていただき、神宮として呼び込みも行っています。令和元年から行っている夏の流鏑馬神事は、大分県内では珍しい行事だということで、地元の方のみならず観光客の方も多く来られます。八幡神社の総本宮ということもあり、観光資源としても大切にされている神社だと思います。
神仏習合の原点・六郷満山と、お神輿発祥の地。



ホームページを拝見し、「六郷満山」という文化のページにおいて神職の皆様と僧侶の方々が共に祭典をされている、という内容を拝見しました。神と仏は別のもの、と捉えられている現代においては珍しい光景だと思いますが、こちらについて詳しくお聞きできますか。



これは、「六郷満山文化」という宗教文化に由来するものです。八幡大神様は国作りを進めた神様であり、中国大陸から伝来した文化や仏教を取り入れ神仏習合とも深い関わりがある神様です。神仏習合の始まりは718 年のことで、大分県の国東(くにさき)半島という所に仁聞菩薩(にんもんぼさつ)という僧侶がいました。この人物は僧侶でありながら八幡大神様の化身と言われていた人物で、国東半島内で6つの郷に分けられたそれぞれの谷に天台宗のお寺を建立しました。6つの郷に開山(山を開き寺院を建立すること)し山が満ちると考え、「六郷満山(ろくごうまんざん)文化」という神道に由来した新しい山岳宗教が成立しました。この文化は現在にも根付いており、六郷満山の僧侶が来られて神職と僧侶が合同で行う祭典も残されています。八幡大神様は日本古来の神道における大事な神様であると同時に、中国からの仏教も取り入れる、そういった先進的な考えを持つ神様でした。



そういった背景でしたか!一つの文化や宗教のみならず、新しいことを取り入れて新時代を拓ける、革新的な方だったんですね。神社様のエピソードとしてとても興味深いです。他に、この神社様ならではのエピソードはありますか。



分かりやすいエピソードでは、お神輿にまつわるエピソードがあります。実は全国のお祭りで使用されるお神輿の文化は、宇佐神宮が発祥なんです。



え!お神輿発祥の神社様なんですか!?それは驚きです。詳しく教えていただけますか。



東大寺の大仏様が建立された際に東大寺からご招待を受け、その際に八幡大神様が紫の輿(こし)に乗り出かけられました。かつて紫の輿は天皇が使用する乗り物でしたが、宇佐神宮の神職が八幡大神様と共に東大寺の方に向かった際、移動手段として乗った輿が神様が乗る乗り物=神輿となりました。



そうだったんですね。最初から神様の乗り物というわけではなく天皇の乗り物として使われていたんですね。今ではお祭りにお神輿が登場する光景は当たり前になっていますし、その発祥や由来について考えたことがありませんでしたが、始まりのお話を聞くことができ嬉しいです。
神社での行事
【御神幸祭(ごしんこうさい)/夏越祭り(なごしまつり)】


7月31日~3日にわたり開催される夏祭り「御神幸祭」。地域では親しみを込めて「夏を越す祭り=夏越祭り」とも呼ばれ、夏越祭り実行委員会や商工会議所の協力もあり、毎年夏の風物詩となるほど盛り上がる行事です。
【放生会(ほうじょうえ)】




奈良時代、日本では中国の唐に倣い律令制の国作りが進められ朝廷の力が全国に及ぼうとしていました。しかし、東北の蝦夷(えみし)と南九州に住んでいた隼人(はやと)と呼ばれる人々はそれに従わず抵抗を続けていました。そして720年(養老4年)、隼人は朝廷に対して反乱を起こし、城に立て籠もり抵抗を続けました。しかし、長い戦いの末に隼人軍は敗北し、その後数年間宇佐の地は疫病や飢餓などに見舞われ、人々は戦に負けた隼人が怨霊となり災いを起こしていると考えるようになりました。
八幡大神は人々を殺生したことを後悔し、隼人の霊を慰めるため仏教の力を借り、捕まえた魚や野鳥を野生に返す「放生」という儀式を始めます。それを放生式と言い、後にこの儀式は全国に広まりました。現在、各地で催されている放生式は生きとし生けるものへ感謝をするという意味合いが強いですが、元々宇佐神宮で行われていた放生式は隼人の霊を鎮めるための祭典でした。
【鎮疫祭(ちんえきさい)】




毎年2月13日に行われる祭典で無形文化財にも指定されている疫病を鎮めるためのお祭りです。宇佐神宮には神仏習合の時代に弥勒寺(みろくじ)というお寺が造られ、神職と僧侶が共に奉仕を行っていました。明治に入り廃仏毀釈(はいつぶきしゃく=神と仏を分ける令)が出され神道と仏教を分ける政策が実施された際に弥勒寺は無くなりましたが、弥勒寺をお守りするために京都に八坂神社を建立し守護したと言われています。
その弥勒寺の法会の一つとして鎮疫祭という疫病を鎮めるための法会が行われており、当時から宮司の祝詞や僧侶の読経などが行われた大変大きな祭典でした。現在も鎮疫祭は実施されており、読経も行われるなどできる限り当時の形を残しています。近年では新型コロナの流行もあり、非常に重要な祭事として認識されています。
今後の展望
2025年、八幡大神様の鎮座から1300年を迎え記念の奉祝行事も年内に多く予定されています。1300年という長い歴史の中で、記念の瞬間に立ち会えることは神社職員にとってこの上ない喜びであり、行事には全国から多くの方にお越しいただき、八幡大神様のご神意に添えるようスムーズに進めていきたいと考えています。
時代に合わせて変えていかなければいけない部分と、神社として変えてはいけない聖の部分、そのバランスを上手に取りながら神様も参拝者の皆様も大切にする神社でありたいと思っています。事前知識はなくても構いません。まずは、この広大な社叢を見に来られるだけでも価値のある場所なので、一度来ていただき、また来たいと思ってもらえる神社を目指していきます。
インタビューまとめ
現在からおおよそ1300年前、八幡大神様のお告げからは約1450年と遡るのが難しいほどの長い歴史を持つ神社様ですが、インタビューご担当者様はその長い歴史の背景、その中で起こってきた出来事について非常に流暢に分かりやすくお話いただきました。そのお話は、まるで一つの物語のようで、とても一つの神社様にまつわるエピソードとは思えないほど深いものでした。
何気なく過ごす日常の中で、物事や出来事の始まりを意識することはあまりありません。ですが、その起源に意識を向けた時、きっと驚くような史実や伝説に出会えるはずです。古来の伝統や皇室との関わりを大切にしながら、時代の変化と共に前向きに変化していく宇佐神宮。古きを愛し、新しきを取り入れる。その姿勢はまるで、神道を守りながら仏教も取り入れてきた八幡大神様のようでもあり、革新的な神様をお祀りする神社様ならではの特徴かもしれません。この先も、変化を恐れずに変わるべき部分を改めながら、地域の方と共に歩んでいくことでしょう。
宇佐神宮 アクセス
住所:大分県宇佐市南宇佐2859
TEL:0978-37-0001
FAX:0978-37-2748
URL:http://www.usajinguu.com/
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