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高取城跡 日本最強の城の足跡を辿る、奈良県・高取町の旅。

本丸空撮①の写真

日本最強の城、日本三大山城、日本の100名城…様々な異名を持つ高取城。かつての大和国(現在の奈良県)に築城され難攻不落の城として名を馳せていました。近世城郭の中では比高が最も高く、その姿は世界遺産である姫路城にも似ていたと言われています。

廃城令となり城郭の大部分が取り壊しとなった後も、その遺構は各所に移築され現在も町のシンボルとして町民に愛されています。地元の方のみならず他の地方からも来ていただけるよう様々なイベントを実施し、高取城はもちろん、高取町という町の名前も知ってもらえるよう町を挙げてPR活動を行っています。

今回は、かつて大和国に栄えた権威あるお城の城跡の魅力について、町役場のご担当者様に語っていただきました。

目次

高取城跡とは

本丸石垣の写真

南北朝時代に築城され、越智氏、本多氏、植村氏など様々な人物が城主として城を守ってきました。その構造は非常に複雑で攻め込むのが困難なものであったと考えられています。信長の時代に廃城令が出され一時取り壊しとなりますが、その後再度お城として整備され奈良を一望できる重要な拠点として認識されていました。

現在は石垣のみを残す姿となっていますが、その風格は堂々たるもの。訪れた方はその風格に驚きます。本丸までの道のりはハイキングコースとしても親しまれる登山道。アウトドアを楽しみたい方にとってはピッタリのコースです。高取町が実施するイベント「高取城ナイトウォーク」では貴重な夜のお城の姿を見ることもできます。

【高取城跡 特別インタビュー】

「高取城」と聞いてそのお城がある場所をパッとイメージできる人はまだ多くないかも知れません。ですが、そのお城は日本最強の城だったこと、そして現在も日本の100名城に奈良県内で唯一選ばれるほど価値のある城だったこと。

これらの事実はもっと広く周知されるべきです。高取城をまだ知らない方、一度は行ってみたいと思っている方に、その魅力をたっぷりとお届けします。

県内有数の“日本100名城”。荘厳さとミステリアスに包まれた城跡。

大手門前の写真
編集部

高取城は「日本最強の城」と呼ばれていると拝見しました。これはどういった経緯でのことでしょうか。

ご担当者様

高取城が「日本最強の城」と名乗り始めたきっかけはNHKで放送されている「日本最強の城スペシャル」という番組内で、日本最強の城として紹介されたことです。それまでに「日本最強の山城」という称号もあったのですが、番組内ではこのお城はフォトジェニックなどそういった行って楽しめるお城だという要素も含めて最強のお城なので、皆さんも来てくださいという内容で紹介されたんです。また、それだけではなく山の上に築かれているお城として、その比高(ある地域内での最高の地点と最低の地点との高低差。この場合はふもとから頂上までの高さ。)が近世城郭の中では最も高いお城でもあります。城の造りとしても、本丸へ登るまでの間にいくつも門があるなど要塞としての構造があり、それによりとても攻めにくいお城だったと言われていました。

編集部

では、高取城跡の魅力、特徴についてお聞きできますか。

ご担当者様

日本100名城というものがあります。これは日本のお城のうち財団法人日本城郭協会が2006年に定めた名城の一覧です。これに選ばれているのは日本全国たくさんあるのですが、奈良県内で選ばれているのは高取城だけなんです(続100名城にて大和郡山城・宇陀松山城が登録)。また、近世城郭の中では比高が最も高いと言われていることから日本三大山城とも呼ばれています。頂上へ登るまでの道中には石垣もとても多く積まれており、その数に驚かれる方も多くいらっしゃいます。高取城は姫路城など著名なお城のように城郭の跡は残っていませんが、逆に苔むした石垣しか残っていないことが古代遺跡の雰囲気を残し、アンコール・ワットや物語であればジブリ映画の『天空の城ラピュタ』に例えられることもあります。写真ではそのスケール感は伝わりにくい部分もありますが、実際に来られて石垣が醸し出す遺跡の雰囲気にびっくりされる方もいます。

編集部

確かにただの城跡、というわけではなくとても神秘的な雰囲気ですね。

ご担当者様

コアなお城好きや歴史好きの方であれば、昔の人たちがどうやって敵の進入を防いでいたのか想像しながら現地を歩くことを楽しまれている方もいます。お城の楽しみ方というのは、現存している物を楽しむこと以外にもそのように見えない部分を想像する、過去に思いを馳せるという楽しみ方もあると思います。

編集部

なるほど!城郭が残っていないお城だからこその楽しみ方ですね。

ご担当者様

そうですね。過ごしやすい季節には頂上でのハイキングを楽しまれている方もいますし、アウトドアを楽しむには良い場所だと思います。

編集部

とてもピッタリな場所だと思います!お写真もたくさん頂き、事前に拝見したのですが石垣に霧がかかっているお写真、これは特に神秘的で素敵だと感じました。

霧の高取城跡の写真
ご担当者様

ありがとうございます!雲海は今まで見たことはないのですが、雨が降った時に写真のような霧が出てミステリアスな雰囲気の写真を撮れることが多いんです。

編集部

CGで当時の城郭を再現されたお写真も見ましたが、姫路城に似ていたのではないかというお話もあるようですね。確かにこの画像を見る限り白い城壁が姫路城に似ていると言えるかもしれませんね。

ご担当者様

そうなんです。CG画像は奈良産業大学の学生さんたちが作ってくださり、様々な資料や和歌山城など周辺の同じ時代・同じ工法で築城されたお城などを参考にしながら作っていただいたようです。CG内でお城が白いのは古くからこの城は芙蓉の花にたとえられたり、「巽高取、雪かと見れば、雪でござらぬ土佐の城」という詩が詠われているなど、様々なエピソードが残されているからですね。また、白い様子は古写真でも確認することができます。城郭が残っていない状態ではありますが、これだけ立派な石垣なので見る価値はあると思っています。

古写真③

奈良を一望する、南北朝の重要な拠点。

編集部

では、高取城跡の歴史やこの地にお城が建てられた由来などについてお聞きします。高取城が築城されたのはいつ頃からでしょうか。また、高取城がこの地に築かれた理由はハッキリと分かっているのでしょうか。

ご担当者様

高取城が築かれたのは南北朝時代といわれています。しっかりと明確に分かっているものではないのですが、高取城は元々南大和で有力な豪族の一人である越智氏が拠点としているお城でした。しかし、越智氏には越智城跡や貝吹山城などがあり、高取城は支城(※1)の一つでした。この高取山は奈良盆地の南端にあり、明日香から吉野へ通じる道の途中にありました。そこに城を建てることにより、麓や多方峰の動向を伺えながら南に控える吉野(南朝)を前衛で守れる立地にあったためここに築かれたのではないかと言われています。越智氏の後は信⾧の時代に廃城令が下り一度は取り壊しになりましたが、筒井順慶によって整備が進められたとされています。その後大和に入城した豊臣秀長が脇坂安治を短い期間ですが城主とした後、本多氏が城の整備を引き継ぎ、江戸時代には植村氏が藩主となり、明治の廃城まで存続したという歴史あるお城です。奈良のお城としては現在の大和郡山市にあった郡山城が挙げられますが、高取城も廃城になった後も筒井氏の頃に再び整備された意味では重要な拠点だったと思われます。
※1 支城…拠点防備の城

編集部

麓や周辺を一望できる場所だったんですね。ここからの景色で特に見どころだと思われるのはどういった景色でしょうか。

ご担当者様

本丸からの眺めももちろん良いのですが、私がオススメしたいのは国見櫓という所から一望できる奈良盆地はとても良い眺めです。現在では山の向こうにある大阪の街やあべのハルカスも見ることができ、山を境に現在の奈良と大阪のまちづくりの違いを見比べることもできます。

大阪を望む眺望写真
編集部

本当ですね!ハルカスが見えますね!夜景のお写真も拝見しましたがとても綺麗ですね。

ご担当者様

これは秋から冬にかけて観光協会のニューツーリズム協会という協会が実施しているナイトウォークというイベントで使用している宣材写真です。一人で夜に登るのは怖いけれど、みんなで登って国見櫓で夜景を見ながら軽食を楽しむ、という内容です。その際には石垣もライトアップして普段は見られない夜のお城を見られるようになっています。

編集部

アウトドアを楽しみたい方にはうってつけのイベントですね!頂上からの景色も素敵ですし、登った甲斐がありあすね。登る道は登山道のようなイメージでしょうか。

ご担当者様

そうですね。決して平坦な道というわけではなくてハイキングコースのような道です。片道1時間半~2時間ほどかけて登るコースなので、運動に慣れていない方は翌日筋肉痛になられる方もいます。外国人の観光客の方のレポートなどを見ると軽い登山を楽しむことができる、と書かれていることが多いのでタフな方にとってはあまり苦にせず登れるコースかと思います。お車の場合は、ふもとの壺阪寺(つぼさかでら)というお寺へ行く道をさらに登り続けた先に、本丸まで15分ほどで行けるルートの入り口があり車でそこへ近づけるのですが、私はふもとから歩くコースをオススメしたいです。歩いてみて、いかに最強の城を攻めることが大変かということを楽しみながら登ってほしいと思います。

編集部

難攻不落のお城だったわけですから、その険しさは自分で歩いてみないと分からないですよね。せっかく来られたならぜひ徒歩で頑張ってみてほしいですね!

ふもとに残る、数々の足跡。

編集部

現在高取城の城郭跡は残っていませんが、お城の名残を感じられるようなものは残っているのでしょうか。

ご担当者様

廃城令が下された後、払下げになりふもとの施設などに移築されている部分が結構あるんです。なので、城跡に登るだけではなく高取城の遺構を探しに行くという巡り方ができるのも面白さの一つだと思います。

編集部

たとえばどういったものがあるのでしょうか。

ご担当者様

一つは子嶋寺(こじまでら)というお寺です。こちらの山門は高取城二ノ門を移築したものです。また、現在は児童公園になっていますがそこがかつて土佐小学校という学校だった頃に、校門として高取城の松の門を移築していました。現在も復元された門が公園に残っています。

子嶋寺の写真
編集部

学校の門にお城の門を使用するとは、とても贅沢ですね!

ご担当者様

また、お城の瓦も光雲寺(こううんじ)というお寺に展示されていますし、高取町が所有している施設の中にはお城で使われていた修復したしゃちほこの瓦を2つ置いています。

編集部

各所に点在しているんですね!町を歩けばお城に出会えるという感じで素敵ですね。

ご担当者様

そうかもしれません。また、平城(ひらじろ※平地に建てられたお城)の城郭が山城の上に建てられている、というのは非常に珍しい構造です。門には宇陀門、千早門、松の門など特徴的な名前が付けられておりこれも珍しいと言われています。由来としては、周辺にあった千早城や宇陀城にちなんで付けられた、千早城や宇陀城から築城を手伝いに来ていた人にちなんで名前がついたのではないかと言われていますがハッキリとは分かっていません。そういった明確には分かっていない、ミステリアスな部分も魅力なのかもしれません。

地元にも愛される城跡へ。交流イベントも積極的に。

編集部

では、高取城は地元の方にとってどういった存在だと思われますか。

ご担当者様

中学生、高校生は学校のカリキュラムの一環として来ることもありますし町役場に入庁した職員は研修として登城している年もあります。

編集部

そうなんですね!やはりそれだけ町の象徴として捉えられているんですね。

ご担当者様

そうですね。地元の方であれば何かのタイミングで一度は登っているのではないかと思います。また、11月23日の日には毎年たかとり城まつりというものを開催していて地元の方にとっては年中行事、恒例イベントになっていると思います。メイン会場では鉄砲隊による実演や時代行列も実施しています。地元の方にとっては「今年もこの時期が来たな」と思っていただけていると思います。当日は屋台やフリーマーケットも出るなど来ていただいた方に楽しんでいただけるような催しも実施しています。他にも、冒頭にお話した、「高取城ナイトウォーク」というイベントは参加定員は一度に20名なのですがたくさんの応募があり地元の方のみならず近隣県の方も注目しているイベントです。

編集部

地元の方と交流できるお祭りがあるのはいいですね!地元の方が誇りに思える場所として継承されてほしいです。拝見したお写真の中に「猿石(さるいし)」というものがあったのですが、これはどういったものでしょうか。

猿石の写真
ご担当者様

これはふもとから登ってくる道中にある石なのですが、ここまで登って「よくここまで来たなぁ、あとちょっとやで。」と迎えてくれる所にあるお猿さんなんです。なぜそこに置かれたのかハッキリと分かっていないのですが、明日香から石垣の材料などを持ってくる際に一緒に持って来られたのではないかと言われています。

編集部

なるほど!残りの道を応援してくれるお猿さんなんですね。本当に魅力がいっぱいの場所ですね。緑も多く、夏場でも涼しく過ごせそうです。海外からの観光客の方も多くいらっしゃいますか。

ご担当者様

そうですね。ふもとに壺阪寺(つぼさかでら)という結構話題になっているお寺があるのですが、その影響で高取城跡に登って行かれる方も結構います。奈良の中でも中部から南は自然を堪能して楽しめる場所がたくさんあるんです。それこそ吉野の千本桜やみたらい渓谷など自然をベースにした巡れるコースがたくさんあるので、その中の一つとして高取城跡も巡ってほしいです。

編集部

貴重な自然が保たれていて素敵ですね。明日香村もすぐ近くのようですね。

空撮②
ご担当者様

そうです。明日香は日本で最初の律令国家であり、高取はそれを支えた技術集団である渡来人が移り住んだという歴史があるので、密接な繋がりがあるんです。桜井、明日香、橿原、高取というのは行政区分こそ違いますが古墳もよく出ている場所なのでやはり近い部分があります。

編集部

アクセスもすごく不便というわけでもないようですし、ハイキングを楽しみたい方には駅から歩くコースもオススメですね。

ご担当者様

そうですね。お車の場合は先ほど言ったようなコースもありますが駐車場がないのでそこは今後整備する必要があると思っています。

【お城にまつわるエピソード】

お城にまつわるエピソードを2つご紹介します。

“いつでも修理OK”のお城。

高取城は山城として建てられていましたが、山の上にあり風も当たることから維持や修理も必要なお城だといわれていました。ただ、お城は改修や修理を制限されていて許可なく勝手に行えないとされていました。

ですが、江戸時代から明治の廃城まで城主であった植村氏が徳川家光から高取城を与えられる際にいつでも修理していいという許可が出ていました。結果、現代で言う修理工と作業員となる人がお城に常駐していたといわれています。

人気漫画のモデルにも。聖地巡礼の新たな候補に。

一世を風靡した人気漫画『鋼の錬金術師』の作者・荒川弘先生が現在連載している『黄泉のツガイ』。この作品に出てくる「東村(ひがしむら)」のモデルとして先生自身も登城されコミックス1巻の表紙をめくると高取城を参考にした東村の縄張り図のマップが、3巻には取材記も掲載されています。

その中で先生自身が作中でいかに東村=高取城を攻略するかということを現地を巡りながら考えられたという様子が描かれています。そういった作品を知って聖地巡礼のような形で、高取城跡に登ってくれる人が増えてほしい、そう願っています。

今後の展望

新緑の高取城跡の写真

高取町の認知度を向上させ、「高取町=高取城のある町」として広く認識してもらえるよう、PR活動を推進していきたいと考えています。例えば、「高取城に登ったことはありますか?」といった形で、一般的な体験談として多くの人と共有できる存在となることを目指します。また、奈良県の協力のもと、高取城を次世代へと確実に受け継いでいけるよう、町として積極的に活用し、PR活動に尽力してまいります。

そのために、地元の方々はもちろん、訪れた方々とも交流を深められるよう、さまざまなイベントやPR活動を実施し、多くの人々の心に残る存在となることを目指します。高取城は「日本100名城」にも選ばれた価値ある城です。その魅力を近隣地域の方々だけでなく、より遠方の方々にも知っていただき、訪れた人々が帰った先で話題にしてくれることで、さらに認知度が高まることを期待しています。

インタビューまとめ

日本最強の城としてその名を残す高取城。城郭が残っていない現代でもその城跡の風格は堂々たるもの。アンコール・ワットなどの遺跡を彷彿とさせる石垣が魅せる荘厳さは訪れる人々を魅了しています。かつて日本の都があったこの奈良という地には、現在でも東大寺や奈良公園、興福寺などの著名な観光地をはじめ見るべきスポットが多数あります。

しかし、そういった市街地だけでなく「少し足を伸ばして奈良観光をしたい」そう思い立った日には、近鉄線に揺られて奈良県高取町へ足を運んでみませんか。今はその姿を失った城郭に思いを馳せ、かつての人々の暮らしを想像すればきっと想像していたよりもずっと神秘的な体験があなたを待ち受けています。

また、今回の記事で高取城跡に興味を持ち、より深い体験を現地でしてみたい方には高取城跡や各スポットを解説してくれるボランティアガイドもオススメです。一見して分からない場所もガイドさんの解説を聞くことで、新たな発見や感動が生まれより楽しむことができますので、ぜひご利用ください。

ボランティアガイド – 高取町観光ガイド
URL:https://sightseeing2.takatori.info/volunteer-guide/

高取城跡 アクセス

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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