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佐和山城跡 痕跡なき城跡に、思いを馳せる“三成”の城。

佐和山から見た彦根城と琵琶湖の写真

日本最大の湖と言えば琵琶湖。その琵琶湖のすぐそばに今はその姿を見ることができないお城がありました。滋賀県彦根市、彦根城で有名なこの地にかつてその姿を留めていたのが、石田三成も城主を務めた佐和山城です。

彦根城築城の際に取り壊され、現在は城跡となる佐和山を残すのみとなっていますが、語れるエピソードは多く彦根市にとって無くてはならない存在です。三成との縁も深いこの城跡には、現在も三成ファンをはじめ多くのお城ファンが訪れています。

今回は、そんな佐和山城跡の楽しみ方、そして彦根城だけで終わらない彦根市の魅力について、市のご担当者様にお話を伺いました。

目次

佐和山城跡とは

佐和山城跡石碑の写真

石田三成と言えば、関ヶ原の戦いで家康に敗れた武将として有名です。頭脳明晰で非常に策士だったと伝えられ、歴史に詳しくない人でも知っている著名な武将です。その三成と非常に関係が深かった佐和山城。

当時の交通の要衝に築城され、その立地の良さから何度も戦乱に巻き込まれた「様々な人物に欲された」お城でもあります。信長をはじめ多くの武将が訪れたお城でしたが、現在の城跡にはお城の痕跡はほとんど残されておらず城の規模、色、造りなどそのほとんどを想像するしかありません。

しかし、その“想像”を楽しみに足を運ぶ城マニアの方も多く、お城を復元せずに今のままであってほしいと願う声もあり、姿なきお城だからこその“ツウ”な楽しみ方ができる貴重な城跡です。

【佐和山城跡 特別インタビュー】

有名な関ヶ原の戦い。その戦いで三成が敗れた後は井伊家が入城し彦根城築城まで拠点としていました。

そんな佐和山城が歩んだ軌跡と現在の城跡、佐和山が地元の人々にとってどんな存在であるか、そして、映画のロケ地としても多く使用される彦根市の魅力とその広報活動についてご紹介します。

お城がない「からこそ」の楽しみを、この先も。

佐和山の天守台跡にわずかに残る石垣の写真
編集部

こちらは滋賀県彦根市にある城跡ですね。彦根市と言えば、彦根城とひこにゃんが全国的に有名でもありますが、こちらの佐和山城というお城はどういうお城だったのでしょうか。

ご担当者様

まず立地としては、滋賀県内の中でも琵琶湖のすぐそばにあります。中山道(なかせんどう)が佐和山の東側を通っており琵琶湖はその西側にあります。その2つが近づく間に佐和山があるというイメージです。陸上交通と水上交通の両方を麓で管理できる、交通の要衝にお城がありました。

編集部

お城がそういった場所に存在していたというのは城の役割からすると必然的かもしれませんね。地図を拝見する限り彦根城もすぐ近くにあるようですが、これだけ近い距離にお城が2つあるというのは珍しいと思いますが、これには理由があるのでしょうか。

ご担当者様

実は、元々佐和山城は地域の中心的なお城だったのですが、関ヶ原の戦いの後に佐和山城に入城した井伊家が佐和山ではない場所にもお城を造ろうと考え徳川家康と相談をした結果、家康も佐和山よりも彦根に築城した方がいいだろうと判断し、拠点を佐和山城から彦根城に移したんです。そういったことから、彦根城を造る際に佐和山城を壊し様々な部材を持って行ったと言われています。現在、佐和山城は城跡と言ってはいますが、城の跡形はなく現地は山があるのみなんです。

編集部

地図を拝見する限り彦根城もすぐ近くにあるようですそうなんですね!彦根城も立派なのでそれを誇るべきなのはもちろんですが、佐和山城の痕跡が何も残っていないというのは少し残念ですね…。

ご担当者様

ですが、お城好きな方にとってはそれがたまらないらしいんです(笑)

編集部

と、言うと…?

ご担当者様

城そのものを見るのも良いですが、自分自身でお城があった色々な痕跡を見つけて歩くのが楽しいらしいです。

編集部

なるほど!ツウですね(笑)

ご担当者様

お城マニアの方はそういう楽しみ方もされているようです。佐和山を登ってくれた方にアンケートも取っているのですが、お城を復元してほしいという意見はごく一部で、このままが良いという意見が多いんです!

編集部

そうなんですか!なるほど…お城があればいいというものではないんですね…!

ご担当者様

そうみたいです(笑)また、佐和山へ登ってくれる方の中には、お城好きな方以外に石田三成のファンという方も多いんです。三成が居城とした城跡に登り三成が眺めていた場所に立ち、彼もこうやって眺めていたのかなと当時に思いを馳せるのが喜びだそうです。目に見えるものよりも、自分で好きなように思い描くのが楽しいみたいです。

編集部

そういう楽しみ方は、なかなか普段お城に登らない方、歴史に詳しくない方は思いつかないですよね!とても参考になります!

ご担当者様

佐和山の方が彦根山よりも標高が高いので、彦根城を見下ろすこともできますし琵琶湖や彦根市内も一望できるんです。約30分軽い登山をした後にその景色を見て感動する方は結構いらっしゃいます。

編集部

なるほど、皆さんそういう楽しみ方をされているんですね。確かにお写真を拝見すると非常に見晴らしが良いですね!お城ですからある程度高い場所に建てられるというのは当然ですが、その景色が今も残っているというのはいいですね。

ご担当者様

ちょうど良い所、良い高さの場所にあったお城だったんだと思います。

編集部

山の登り道はハイキングコースと考えていいのでしょうか。

ご担当者様

そうですね、特に歩きやすく整備されているわけでもなく、山城登りや登山に慣れていない方は、少し急でキツイと感じるかもしれません。

編集部

あまり人の手を加えずそのままにされているんですね。歩くには良いハイキングコースだと伺いましたが、登られる方は若い方が多いのでしょうか。

ご担当者様

それがそうでもなく、意外と年配の方が多いんです。やはり歴史好き・お城好きな方となると年配の方が多くなるので運動がてら登られる方が多いようです。中には駅から歩いて来られる方もいらっしゃいます。三成ファンのいわゆる“歴女”の方が来られることもあります。いずれも普段から登り慣れている方や、登ることがあまり苦ではないと感じる方が来られているようです。私たちも慣れているので、特に登山用の恰好などをせずとも普段の服装で登れるのですが、やはり慣れていない方は途中で休憩しながら行かれるのがいいと思います。また、頂上にはトイレがないので、その点だけは留意して登っていただきたいです。

編集部

麓から頂上までは歩いてどれくらいなのでしょうか。

ご担当者様

軽く30分~40分ほどだと思います。初めて登られる方は「山に登る」という感覚を持って来ていただきたいです!逆に普段から山城などに登られている方にとっては余裕をもって登れるコースかと思います。もう一点気を付けていただきたい点としては、野生の猿が出ることもありますし、夏場は蜂にも注意が必要です。そういった自然の中を歩くというイメージで来てもらうのがいいと思います。

幾度の戦禍を耐え抜いた、堅固な城。

彦根から佐和山を見た眺望
編集部

では、佐和山城の特徴的な部分はどういったところでしょうか。

ご担当者様

建築的な特徴はあまりないのですが、立地的特徴はあります。佐和山城はちょうど岐阜と京都の中間あたりにあったお城なので、信長が何度も佐和山城に宿泊した記録もありますし、他にも著名な武将が訪れていたようです。岐阜からやってくるとちょうど休みたい位置にあったのではないかと思っています(笑)。また、歴史上で分かっているだけでも3度落城しているので鉄壁の守りであったかと言われるとそうでもないのかもしれません。ただ、上記のような場所にあったので需要が多く、数々の戦乱に巻き込まれたお城でもありました。信長も付城(つけじろ)と言って、佐和山城の周囲4方向に1つずつお城を造っていたようです。つまりそれは、力攻めで落とすのは難しくそれだけ用意周到に計画をして攻めないと落とせないお城だったとも言えます。実際に8ヶ月ほど籠城して兵糧攻めのような感じで落とされている記録もあり、そういった方法を取っても落としたい重要な場所だったと考えられています。絵図などが何も残っていないので天守はあったようですが、何階建てだったのかどこにどういう建物があったのかなど、詳しいことは分かっていないんです。石垣が残っているわけでもないので、サイズ感も不明瞭で当時の姿を模型などで再現することも難しいんです。

編集部

お城はただでさえ構造も複雑な場所ですし、記録が残っていないとなると復元は難しいですよね。当時の方が記録を残されていた痕跡などもないのでしょうか。

ご担当者様

実は佐和山城に関する記録を残し始めたのは、お城が廃城となってから100年ほど経ってからのことなんです。当時、井伊家の人々が地域のご高齢の方に聞き取り調査を行い様々な証言を集めました。その中に佐和山城が築かれていた当時、山を削っていたという証言があります。つまり、お城があった当時と現在の山の形は少し違うのではないかということです。なので、当時のお城の姿を復元しようとすると山の形から変える必要があるかもしれず、そういった困難さも城の復元が難しい理由の一つです。

編集部

そうなんですね…。それだけ重要なポイントにあったお城ということなので、どういったお城だったのか少しでも分かる物が残っていてほしかったですね。観光客の方も多く来られているのでしょうか。

ご担当者様

そうですね。4月・5月や11月など活動しやすい時期、また桜や紅葉が美しい季節には多くの方が登られています。山の麓にボランティアガイドさん達の詰め所があり来られる方へガイドを行ったりパンフレットを配布しているのですが、その方たちが詰められている時だけ来山者をカウントしてくれているのですが、年間で80日カウントしている記録では2800人ほどの方が登られているようです。11月の紅葉の時期には700人ほど、4月・5月も400~600人ほどと多く、近畿地方はもちろん関東からの方も多いようです。この辺りは近畿地方の中でも雪が降る地域なので、冬には雪化粧の彦根城を見ることもできるんです。

編集部

それは貴重ですね!雪を被っている印象があまりないので、ぜひそういった彦根城の姿も見てほしいですね!ということは、四季がハッキリと分かる地域なのでしょうか。

ご担当者様

そうですね、比較的ハッキリとしています。佐和山のあたりを境目にして一段階寒くなるイメージなので、冬に佐和山から見下ろすと北と南で若干景色が違うんです。信長もそんなふうに北と南で違う景色を見ていたかもしれませんね。

編集部

四季を楽しめるというのは魅力の一つですよね!海外からの方も多くいらっしゃいますか。

ご担当者様

そうですね、特に台湾などから来られる方は雪を目当てに日本に来る方もいるようで、少し雪が降っただけでも喜んでいただけるようです。春の桜と新緑、そして梅雨の時期は苔むす石垣や、麓にある玄宮園(げんきゅうえん)という庭園は雨との調和が美しい場所で、佐和山も庭園の借景の一つになっているので、玄宮園から見る佐和山も美しいです。秋の紅葉も綺麗ですし、どのシーズンに来ていただいても楽しめるのは特徴の一つかと思います。

編集部

ただ登るだけではなく色んな楽しみ方ができる山なんですね。

ご担当者様

そうですね、佐和山だけを見るというよりも周辺地域と絡めると見どころが多いかもしれません。城跡だけではない魅力もお伝えしていきたいです。

3市に繋がる三成の縁。石田家最期の場所でもあった佐和山城。

編集部

では、地元の方にとってこの佐和山、城跡はどういった存在だと思われますか。

ご担当者様

現在お城は残っていませんが、佐和山周辺地域の方から講座の依頼などを頂くとやはり皆さん佐和山城の話をしてほしいと言われるんです。皆さんの心のどこかに、今でも城跡として知ってほしいという気持ちがあるのかなと思っています。三成のことを大河ドラマで取り上げてほしいという動きもありますし、実は彦根市・米原市・長浜市で観光協議会も作っているんです。

編集部

その3市に何か共通点があるということでしょうか。

ご担当者様

そうなんです。3つの市に共通する人物が三成で、長浜は三成の出身地、米原は秀吉と三成が出会ったお寺があり、彦根は佐和山城があり、ということで三成をテーマにして「三成タクシー」や「三成めし」を作り、三成を大河ドラマに!という署名運動もあるんです。2024年12月に横浜で開催されたお城EXPOにも出展し、署名集めやPR活動も行いました。

編集部

すごく積極的に動かれているんですね!お城自体はなくとも非常に愛情を持たれていることがよく分かります。

ご担当者様

実際に三成が佐和山城の城主だったのは晩年の5~6年ほどなんですが、佐和山城というと圧倒的に三成を思い浮かべる方が多く、皆さん三成の佐和山城だと思っていらっしゃいます。実は三成の父親やお兄さんなどの一族は佐和山城で亡くなっているんです。関ヶ原の戦いの後に徳川方に攻め込まれて落城しますが、その際に石田一族はみんな佐和山城で命を落としているんです。そういった石田家最期の場所でもあるので余計に思い入れがあるのかもしれません。

編集部

なるほど。最期の場所となると感慨深いものがありますね。

ご担当者様

ですが彦根と言えば彦根城です。ただ、彦根城は井伊家のお城でしたが井伊家よりも三成の方が有名なので、この城跡に何も残っていないにも関わらずこれだけ語れることが多いというのは、やはり三成の力だと感じています。

編集部

そうですね。石田三成を知らない人はいないでしょうし、三成のネームバリューはすごいですね(笑)他にも三成に関わる痕跡はあるのでしょうか。

ご担当者様

たとえば、佐和山にはよく見ると石垣や土塁が少し残っているんですが、それ以外にも彦根のキャッスルロードという彦根城から南に延びている江戸時代の通りを模して作った道にある宗安寺(そうあんじ)というお寺の門は佐和山城から持ってきた物だと言われています。なので、佐和山城や三成が好きな方はそういった場所に足を運ばれる方もいるようです。

編集部

山だけでなく、麓でも痕跡を探すことができるんですね!

ご担当者様

他にも、麓にある龍潭寺(りょうたんじ)というお寺では、お城に所縁のある物を展示していて、三成に関連する物も見られるようです。龍潭寺は井伊家ゆかりのお寺なのですが、三成が亡くなった後は井伊家が佐和山城主になりその後廃城になったため、その関係でお城に関連するものをお持ちなのかもしれません。実際に、井伊直政は佐和山城で亡くなっており、佐和山は江戸時代、井伊家にとって聖地のような場所でした。そういった理由から江戸時代の間、佐和山は一般の方の立ち入りを禁じていたんです。明治以降になっても井伊家ゆかりの清凉寺(せいりょうじ)が山を所有していたため、井伊家の聖地として知られる山でした。山の麓には、そういった井伊家ゆかりのお寺が複数あり、江戸時代には佐和山の方から彦根城が丸見えなのでお城の周りの木をあまり切らないように、と家老がお殿様に伝えたという記録も残っています。今となっては真偽のほどが分からない伝承もたくさんありますが、そういった話から皆さんの想像が膨らむのだと思います。

龍潭寺庭園の写真
編集部

三成だけでなく井伊家との関係も深いお城であり山だったんですね。

ご担当者様

そうですね。先ほどの話とも重複しますが、お城が残っていないのにこれだけお話が尽きないお城というのも珍しいです(笑)。そういった知ることができない部分と、今後調べられる部分、どちらも大切にしながら城跡の調査を進めていきたいです。

有名作品も多数。数々の映画に愛される彦根の町。

佐和山から見た彦根城天守の写真
編集部

彦根城は全国的にも有名ですが、そういったお城がある町はやはり観光客の方も多いと思います。観光地ならではのエピソードなどはありますか。

ご担当者様

実は、2017年に公開された映画『関ヶ原』で彦根城もロケに使われているんです。

編集部

え!そうなんですか!?『関ヶ原』は確か俳優の岡田准一さんが主演を務められ、役所広司さんや錚々たる俳優さんが出演されヒットした作品ですよね。

ご担当者様

はい。その映画で三成を演じられていたのが岡田准一さんなんですが、彦根城の太鼓門櫓という所で、あるワンシーンの撮影が行われそこをご案内する時には「ここは岡田さんもいた場所なんですよ」とお伝えすると皆さんすごく喜ばれます(笑)

編集部

それは喜びます(笑)!私も今、とてもテンションが上がりました(笑)

ご担当者様

また、他の映画では2023年に公開された『レジェンド&バタフライ』でも彦根城が使われていて、撮影時には傷だらけの足軽の恰好をした方が彦根城内にたくさんいたんです。ちょうどその同じ日に私が講座で地元の小学生を案内して入城するとそういう状況だったので、子どもたちは「本物の戦国時代みたい!」と大喜びしていました(笑)

編集部

すごくラッキーですね!お城に入るだけでも子どもにとってはワクワクしますし、そんな現場、人生で1回遭遇できるかできないかですから、その小学生たちは運が良かったですね!

ご担当者様

そうですね(笑)。ちなみに、その映画のプロモーション映像などで木村拓哉さんと女優の綾瀬はるかさんが馬に乗って浜辺を走るシーンがあるのですが、実はあれは琵琶湖です(笑)

編集部

まさかの海じゃなかったんですね!?(笑)驚きです(笑)

ご担当者様

私たちはその事実を知っているので、見るたびに「琵琶湖や~(笑)」と思いながら見ていました(笑)

編集部

やはり観光地というだけあり、ロケ地にも多く使われているんですね!

ご担当者様

そうなんです。彦根は映画のロケ地勧誘も一生懸命やっていて、2023年には彦根市のフィルムコミッションとひこにゃんの活動を担当する課を一緒にして、全国で初めて「エンタテインメント課」という課を作りました!ひこにゃんの活動と映画などのロケ地勧誘を同時に行うための課です!

編集部

素晴らしいご尽力ですね!なかなかそこまで力を入れている自治体も少ないかと思います。ひこにゃんは全国的にも大人気ですし、彦根の顔というイメージです。

ご担当者様

お城EXPOでもひこにゃんのファンの方にお会いしたのですが、私たちの名刺に印刷されているひこにゃんの写真にとても喜ばれていました(笑)。また、佐和山城の御城印も販売しているのですが、お城EXPOではその時限定の御城印も販売していました。その御城印は私たちの名刺の名前を書いていただいている書家の方に、お城EXPOの会場で直接書いていただきました。

編集部

その場でですか!すごいですね!先ほど名刺の画像も拝見しましたが、ひこにゃんの可愛さと筆で書かれたお名前の力強さのギャップが面白いですね!

ご担当者様

書家の方は、島根県出身の「路上詩人こーた」さんという方なんですが、まだお若いのに実力と実績のある方で私たちも数多くの場面で一緒にお仕事をさせていただいています。

編集部

書家さんとのコラボもされているのは素敵ですね!本当に、お城だけではない楽しめるコンテンツがたくさんの町ですね。

ご担当者様

今後もロケ地誘致などには力を入れていきたいと思っていますし、城跡の調査や三成との関係をPRするなど本市にとってプラスとなるような事業を展開していきたいと思っていますので、近畿地方だけでなく遠方の地域からもたくさんの方に来ていただければと思います。

今後の展望

石田三成という有名な武将とも深い関係があるため、三成を大河ドラマで取り上げてほしいという署名運動は今も盛んに行われています。また、現在彦根市の観光資源としてはもっぱら彦根城ばかりが取り上げられる現状があるため、彦根城だけでなく他にも様々なコンテンツがあることを知ってもらいたいです。

また、現在佐和山城は調査も進んでおり、当時の姿を描くヒントになる痕跡を探しているところです。現在は山があるのみですが今後は国の史跡にも指定されることを目指して活動を進めたいと考えています。そうなることで整備事業を円滑に進めることもできるため、当時の姿を想像するだけでなく「こういったお城だった」と分かるような物を発掘できればと思います。

三成のファンの方でも、ひこにゃんが好きな方でもきっかけは何でも構いません。彦根に来ていただき観光を楽しみ、また来たいと思っていただける町を目指しています。

インタビューまとめ

「佐和山城跡についてお話をお聞きしたいです」とご担当者様に声を掛けさせていただきましたが、現地は山があるのみでお渡しできるようなお写真もあまりないんです…というお話だったため、詳しいお話を聞けるかな…と少し懸念していたのですが、全くの取り越し苦労でした。ご担当者様からは1つのご質問に対して非常に多くの話題を話していただき、インタビュー時間は1時間を超えるものとなりました。

誰もが知っている武将・石田三成とも縁が深く、非常に重要な位置にあった佐和山城。幾度の落城に遭いながらもその堅固な守りを崩さず、彦根城築城までその姿を留めていました。現在ではその姿を想像することしかできませんが、今後、発掘調査などにより新たな史実が見つかる可能性は充分にあります。「当時の姿を自由に描けるからこそ良い」そんなお城ファンの思いを大切にしながらも、明らかにできる部分も探していく。そして、今後は映画などのロケ地誘致も含め、彦根市全体で事業を盛り上げる。自治体が一体となって展開していく今後の広報活動にもご注目ください!

写真提供:彦根市文化財課、観光交流課提供

佐和山城跡 アクセス

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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