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箱根関所・箱根関所資料館 「江戸の守り」として250年、鉄壁の番人。

関所鳥瞰写真

江戸時代、全国の主要な街道沿いに設置された「関所」は、旅人や物資、特に武器の流通を厳しく監視するための重要な施設でした。五十余りの関所が存在し、その中でも箱根関所は特に有名です。

しかし、明治時代に入るとすべての関所が廃止され、箱根関所も例外ではなく、その役割を終えました。しかし、当時の資料や発掘による情報をもとに、江戸時代の姿を忠実に復元することができ、現在では観光名所として多くの人々が訪れています。箱根観光の際には、歴史を感じることができるこの場所はぜひ立ち寄りたいスポットの一つです。

目次

箱根関所・箱根関所資料館とは

全国で唯一、当時の姿を高度に復元した箱根関所は、江戸時代の関所の様子を多角的に知ることができる貴重な施設です。関所の業務が行われた「大番所(おおばんじょ)」や、関所役人たちの日常生活を垣間見ることができる「上番(かみばん)休息所」、下級役人である足軽たちが勤務していた「足軽番所」、そして周辺の警備を担当した足軽たちが不寝番で監視していた「遠見番所」などが復元されています。これらの施設は、当時の役人たちの業務や暮らしぶりをリアルに再現し、訪れる人々に江戸時代の生活を生き生きと伝えています。

さらに、併設された箱根関所資料館では、箱根関所の役割や歴史的背景について詳しく学ぶことができます。ここでは、現代では感じることのできない江戸時代の関所の緊張感や雰囲気を体験でき、訪れる人にとって貴重な歴史的体験を提供しています。

わずか5件。鉄壁の江戸の守り。

女手形の写真

箱根関所が現在の場所に設置されたのは、元和5年(1619年)ごろとされています。その後、明治2年(1869年)に関所が廃止されるまでの約250年間にわたり、箱根関所は江戸幕府を守る重要な防衛拠点として機能していました。

その厳格さを物語る一例として、記録上確認されている「関所破り」はわずかに5件しかありません。これにより、箱根関所がいかに厳重な管理体制を敷いていたか、また当時の治安維持において非常に大きな役割を果たしていたことが窺えます。江戸幕府にとって箱根関所は、まさに鉄壁の防御線であったと言えるでしょう。

「黒」で語る、関所の威厳。

江戸時代に箱根関所があったこの場所は、大正11年に「箱根関跡」として国の重要史跡に指定され、その保存が進められました。その後、昭和58年(1983年)に、江戸時代末期に行われた箱根関所の大修復に関する詳細を記録した「相州箱根御関所御修復出来形帳」が、静岡県韮山町(現伊豆の国市)にある江川文庫で発見されました。この発見によって、建物の構造などが具体的に明らかになり、発掘調査が行われた結果、建物の礎石などが見つかりました。

これらの資料と発掘結果をもとに、当時と同じ材料や伝統的な日本の建築工法を用いて関所の建物が忠実に復元されました。関所全体の黒い外観は、柿渋と焼いた松のすすを混ぜた「渋墨」という塗装によるもので、防水、防虫、防腐効果を持ちながら、その重厚な色合いは旅人に威圧感を与え、関所の厳粛さを際立たせていたと考えられます。

また、建物の復元だけでなく、周辺環境も江戸時代の情景を再現するよう整備されました。この場所を訪れると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚を味わうことができ、歴史の息吹を身近に感じることができます。

関所でのイベント

毎週土曜日(4~12月および3月)には、箱根関所内を詳しく解説する「ガイドツアー」が実施されています。このツアーでは、多くの観覧者が参加しており、箱根関所の歴史やその役割について深く学ぶことができます。さらに、通常は入ることができない「大番所」の内部も特別に見学できるため、貴重な体験を提供しています。

また、イベントも充実しており、江戸時代に箱根関所で行われていた「女改め」の様子を、劇団員がユーモアを交えて再現する時代演目が上演されます。これに加えて、関所内を巡りながらクイズの答えを探す「謎解き関所」など、楽しみながら学べるアクティビティも数多く用意されています。

このように、ただ関所を見学するだけでなく、参加者が楽しみながら歴史を学べる点が、箱根関所の大きな特徴です。歴史とエンターテイメントが融合した体験は、訪れる人々に新たな視点で江戸時代を感じさせてくれます。

箱根関所にまつわるエピソード~お玉の悲しい話~

なずなが池

かつて、伊豆半島の貧しい村に「お玉」という少女が生まれました。お玉は家族を支えるために江戸へ奉公に出ましたが、厳しい奉公先の生活に耐えきれず、故郷へ逃げ帰ろうと決意しました。

江戸時代、江戸から外へ旅立つすべての女性には「証文」と呼ばれる通行手形が必要でした。しかし、逃亡したお玉はそのような手形を持っていませんでした。そこで彼女は山道を抜け、関所を突破しようと試みましたが、柵に絡まっているところを役人に発見されてしまいました。当時、関所破りは親殺しと同等に「磔」の刑という極刑が下されるほどの重罪とされていました。

お玉は2カ月間にわたり獄屋に収容され、厳しい取り調べを受けました。悲しいことに、彼女は処刑されることとなりました。お玉はまだ少女だったため、最も重い刑ではなく、二番目に重い「獄門」の刑が執行されました。処刑場所の近くには「なずなが池」と呼ばれる池がありましたが、やがてその池の名前は「お玉が池」に変わりました。現在でも、年に一度お玉の供養がこの池で行われています。

数少ない関所破りの一件が、幼い少女がおひとりでに故郷へ戻るための試みだったとは、非常に切ない物語です。

今後の展望について

箱根関所復元施設は、全面公開から17年が経過し、木造建築のため施設全体が徐々に劣化しています。そのため、令和6年から数年間をかけて再整備を行う予定です。今後も唯一無二の関所として、当時の姿を現代に伝え続ける施設でありたいと考えています。

現代では新幹線や飛行機など、あらゆる手段で日本全国への旅が容易に行えますが、江戸時代はすべてが徒歩移動でした。そのため、関所を避けて通過することは不可能でした。現代とは全く異なる旅のシステムです。この箱根関所で、当時の風景に思いを馳せてみるのも興味深いかもしれません。

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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