神戸という町は、兵庫県の県庁所在地であると共に昔から風光明媚な港町として県内はもちろん、全国の方から愛される町です。六甲の山を背に広がる海を望み、中華街や異人館街で異国情緒を楽しみ、日本に居ながら様々な国の文化に触れることができる不思議な町です。
そんな神戸の垂水区(たるみく)にある兵庫県内最大の前方後円墳・五色塚古墳。閑静な住宅街の中に現れる古代の遺跡に登れば、古墳時代にタイムスリップしたような感覚を味わうことができます。美しい眺望と特徴的な造りが魅力のこの古墳の見どころについて、神戸市のご担当者様にお話をお伺いしました。
五色塚古墳とは

山陽電鉄「霞ヶ丘」駅から歩いておおよそ5分。線路を超えたすぐ北側に広がる住宅街に、突如として現れる古代遺跡、それが五色塚古墳です。4世紀後半に築かれたこの古墳は、兵庫県内最大規模の大きさを誇りそこに葬られている人物は大和の権力者に迫る権力を持っていたと言われています。現在は、古墳の頂上に至るまで手すりや歩道が整備され一般の方にも登っていただきやすいようになっています。
古墳のすぐそばには日本一の明石海峡大橋を見ることができ、淡路島まで見晴らせます。美しい眺望と共に親しまれているこの古墳では地元の方を交えた様々なイベントも開催され、地域の方にとって大切な遺跡となっています。日本全国に多数ある古墳の中でも大型の前方後円墳としては国内で初めて整備され、現在も多くの観光客の方が訪れています。
【五色塚古墳特別インタビュー】

1975年に整備されてから50周年を迎える五色塚古墳。住宅地の中に現れる巨大な古墳は非常に存在感があり、訪れる人を圧倒しています。
垂水区の重要史跡として地域の方々にも親しまれ、近隣の小学生などとの交流イベントも盛んに行われています。今回は、そんなイベントの詳細や神戸市としての今後の計画について、詳しくご紹介します。
古代の姿をそのままに。国内で初めて整備された古墳。


五色塚古墳、こちらは神戸市垂水区にある古墳ですね。



はい。五色塚古墳は山陽電鉄「霞ヶ丘駅」から歩いて5分ほどの海沿いの小高い丘の上にあります。線路のすぐ北側にあり、日本最長の明石海峡大橋がすぐそばに見え淡路島まで見渡せるロケーションです。



では、この古墳の特徴やぜひ見てほしい部分などをお聞きできますか。



この古墳は、一般的に五色塚古墳と呼ばれていますが、千壺古墳という別名もあります。古墳時代前期である4世紀後半に造られた兵庫県最大の前方後円墳で、全長194m、前方部の幅は82.4m、高さ13m、後円部の直径は125.5m・高さは18.8mあり、古墳の周囲には濠を巡らせています。この古墳の特徴は何といってもまずは古墳に登った時の眺望です。一番高い場所からは垂水の町を一望できますし、天気が良ければ和歌山県の方まで望むことができます。



和歌山まで見えるんですか!それはすごいですね!登られた皆さんは、やはり眺望について仰ることが多いのでしょうか。



そうですね。その眺望を目的に来られる方もいらっしゃるようです。特に日没の夕焼けの頃に明石海峡大橋とセットで見るロケーションはとても素敵で、ロマンチックな雰囲気を味わえると思います。



日本一の橋とセットで見られるというのは貴重ですね。私もこの辺りには多少土地勘がありますが、垂水や須磨という所は昔から海浜浴場としても親しまれていますし、綺麗な海を楽しめる場所としても地元の方に人気ですよね。古墳の周囲はしっかりと整備されていて登りやすいように手すりなども付けられているんですね。とても利用しやすい古墳だと思います。



そうですね。1975年に整備され公開が始まったので2025年に整備から50周年を迎えます。最近では整備されている古墳も多いのですが、古墳が造られた当時の姿に復元整備されていた古墳というのは珍しく国内初の事業だと言われていました。



そうなんですか!日本全国、古墳はたくさんありますがそれらに先んじて整備されたというのは大きな特徴ですね。



また、整備されていたとしても古墳全体に登れるというのは珍しいんです。途中まで登れるような古墳などはあるのですが、階段も付いて登りやすいようになっている古墳というのはあまり多くはないんです。



様々な点で貴重な古墳ですね。古墳時代の当時のままの姿が残っているというのも素敵です。当時の技術でこれだけの物を造れるというのもすごいですよね。



はい。そういったリアルな古代の姿を見て、古墳ができた時代に思いを馳せてもらうということも目的の一つです。何百年、何千年経っても当時の風景を見られる場所として多くの方に来ていただければと思っています。
かつての景色に出会える、住宅地の中の古代遺跡。





では、五色塚古墳の歴史やできた由来についてお聞きできますか。



大まかな歴史になりますが、五色塚古墳が造られたのは4世紀後半、西暦で言うと350年~380年頃となります。造られたのは古墳時代で、当時は造られた古墳の大きさによってそこに葬られた人物の権力を示していたのだろうと考えられています。五色塚古墳は兵庫県で一番大きい古墳で、全国的にも40番目くらいのサイズです。ただ、現代では40番目ですが五色塚古墳が造られた4世紀後半当時だけ見ると、5本の指に入るくらいのサイズだったと言われていますので、古墳に葬られた方は当時の日本の中心であった大和(現在の奈良県)の権力者に迫りうるような権力を持っていた人物ではないかと考えられています。



古墳がここに造られた理由は分かっているのでしょうか。



推測になりますが、やはりロケーションが良い場所を選んで作られたのではないかと考えられています。葬られた人物が、自分が治めていた場所が見えるように造ったと考えられ、そのために小高い丘の上を選んだのではと言われています。五色塚古墳は葺石(ふきいし)と呼ばれる石を表面に使用しているのですが、その石は淡路島から持ってきたものだということが分かっています。ということは、現在の明石海峡大橋を含めた淡路の範囲までを支配下に治めていた、そこまで勢力が及んでいたのではないかと思います。





支配の範囲としては割と広いですね。それだけの人物だったから、この規模の古墳が造られたということですね。



そうですね。この規模のお墓ですから当時の大和王権の王などにも一目置かれていた人物だったかもしれません。



先ほど、葺石という石のお話も出ましたがこちらはどういった石なのでしょうか。



サイズとしては大きい物ではなく片手で持てるほどの大きさです。主に古墳の斜面に敷き詰める石のことで、目的としては斜面の崩壊や土の流出を防ぐため、あるいは古墳の見栄えを良くするために敷き詰められていたとも考えられています。





なるほど。石を使う目的にも様々な理由があったんですね。先ほど、ロケーションのお話も出ましたが、この古墳はとても町中にあるんですね!



そうなんです。住宅地の中に突然現れる古代遺跡ということで、そのギャップも面白い点の一つかも知れません(笑)。



古墳のすぐそばのマンションに住まわれている方だと自宅のベランダから古墳を望むこともできるでしょうし、日常の中での時代感覚が面白いことになりそうです(笑)。周辺に住んでいる子どもたちなどにはとても親しみのある場所になりそうですが、周辺では子どもたちが遊んでいる姿なども見られるのでしょうか。



遊び場というわけではないのですが、地域の子どもたちに、古墳があるということを知ってほしいので、古墳に関する体験イベントなどを行い、古墳に愛着を持ってもらえるような取り組みを行っています。



先ほど葺石のお話も出ましたが、他に特徴的な部分はありますか。



古墳全体に埴輪を大量に並べていたということが発掘調査で分かっています。粘土で作った土管のような物ですが、五色塚古墳の場合はこの埴輪に特徴があります。通常の埴輪は長細い土管のような形で「円筒埴輪(えんとうはにわ)」と呼ばれていますが、五色塚古墳の埴輪はその円筒埴輪の両サイドに魚のヒレにも見える長方形の板のようなものを付けています。このヒレ付の円筒埴輪が主に使われているというのが特徴の一つだと思います。また並べ方にも特徴があり、五色塚古墳では見方によっては埴輪が壁に見えるように並べられているんです。







そういった役割があったんですね!並べられている埴輪の数はどれくらいなのでしょうか。



推定にはなりますが、おおよそ2200本ほど並べられていたのではないかと言われています。



そんなにですか!古墳時代という昔にそんなにたくさん作れる技術があったんですね!



そうなんです。サイズとしても1m~1.2mほどあるのでそれだけのサイズの埴輪をたくさん並べていたと考えられています。



その大きさの物が多く並ぶ景色はなかなか見応えがありますね!



現在は一番上の段にのみ復元したものを並べているのですが、古墳時代当時には、古墳の途中に三段の平場がありその全てに埴輪を巡らせていたことが調査により分かっています。





当時の壮観な姿も見てみたかったですね!ロケーションのお話も先ほどから多く出ていますが、来られる方は地元の方・観光客の方、どちらの方が多いのでしょうか。



地元の方がお散歩ついでに寄られる、ということもありますが遠方から来ていただけることも多いです。海外、特に西洋の国からも多く来られています。そういった海外からの観光で垂水に留まられている方へ観光スポットとして五色塚古墳をご紹介することもあります。



本当に立派な古墳ですよね。私も名前を知っているのみでこんなにロケーションの良い場所にあるとは知らなかったので、ぜひ一度足を運んでみたいと思いました。住宅街の中にありますから周辺も穏やかで観光しやすい場所ですね。



そうですね。造られた当時から場所は変わっていませんから、おそらく古墳時代に葬られた王様も同じ景色を見ていたかもしれません。そういった意味では、王様気分を味わえる場所でもあります(笑)。



確かにそうかもしれないですね(笑)!明石海峡を眺めながら王様気分に浸る時間も素敵ですね!
地域住民との交流も。夜の古墳に出会える貴重なイベントも開催。



では、地元の方とのエピソードについてお伺いしたいのですが、地域住民との交流イベントなどは何かされていますか。



毎年五色塚古墳まつりを開催しています。地元の小学校で小さな埴輪作りをしたり、お祭り当日には子どもたちが古代の衣装を着てパレードをしたりと様々なイベントを行っています。







それは貴重な体験ですね!なかなか他では体験できないことだと思います。五色塚古墳まつりのお写真も拝見しましたが、衣装もすごく凝っていますし本格的に賑わっているお祭りなんですね!



現在古墳の管理は地元のNPO法人に委託しているのですが、そのNPO法人主催の古墳に親しむイベントも毎年開催しています。神戸の海をバックに地域の音楽祭のような形で演奏会も開いています。また、キャンドルナイトとして、夜間に古墳を公開するイベントも開催しました。それはなかなか幻想的な雰囲気を味わえるイベントで、夜の古墳を楽しんでもらうというのは初めてだったので、地元の方だけでなく遠方から来ていただいた方も多数いました。明石海峡大橋と、淡路島側の観覧車のライトアップと合わせてとても美しく見えました。







こちらを見に来られる方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。



キャンドルナイトは5日間開催して各日400人ほど、合計で2000人ほどの方が来てくださいました。イベントの開催を発表してから一週間ほどで予約が全て埋まり、非常に人気のイベントとなりました。古墳の形をしたろうそく作りなどのイベントも実施しています。今後の開催についても検討していきたいと思っています。



地域一体となって古墳の存在を大切にし、盛り上げていく姿勢が素敵ですね!地域の方にとってはやはり、この五色塚古墳は誇りとなるものでしょうか。



そう思っていただけていると嬉しいです。ただ、本当に昔からあるものですから馴染み過ぎてあまり意識していないという方もいるかもしれません(笑)。50年前に整備する前はただの山だと思っていた方もいたようです(笑)。この垂水や須磨、という場所は昔から風光明媚な場所として知られていますし、そういったロケーションにあることをもっとPRしていきたいです。
“偽りのお墓”の伝説もある、印象深い古墳。
日本の最も古い歴史書の1つである『日本書紀』。その中に五色塚古墳が舞台ではないかと言われている物語があります。
かつて、日本武尊(やまとたけるのみこと)の子であった仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が亡くなった際、次の天皇を誰にするかという争いが起きました。仲哀天皇の妻であった神功皇后(じんぐうこうごう)の皇子と、当時、大和にいた別の皇子が後継を巡って争い、大和の皇子は「仲哀天皇の墓を造る」と偽り、戦に勝つために人を集め淡路島から石を運び古墳を造った、それが五色塚古墳ではないかという伝説もあります。つまり、天皇陵を造るふりをして兵隊を集めた、ということです。しかし、結果的に大和の皇子は敗北し、神功皇后の皇子が次代の「応神天皇(おうじんてんのう)」となります。
『日本書紀』の中でも具体的にどの古墳が舞台になったか分かるお話はあまりありません。あくまで伝説の話ですがそういった伝説が生まれるほど、当時の人々にとってもインパクトのあるお墓だったのかもしれません。
今後の展望
50年前に整備された五色塚古墳ですが、現在、新しい事業が進められており、令和8年度春の完成を目指して、新しいガイダンス施設の建設計画が進んでいます。そこでは五色塚古墳の魅力や歴史的な深さをもっと感じていただけるよう、資料などの展示を充実させる計画です。
屋外テラスから古墳を見渡せる造りになる予定で、休憩スペースなどの各設備もユニバーサルデザインを中心に、お子様連れやご高齢の方にも来ていただきやすい施設を目指しています。この先も、地域の誇りとして大切にしながら、全国に知っていただける古墳となることを目指しています。
インタビューまとめ
自分が生まれ育った地域にある史跡は、それが世界的な遺産であっても日々暮らす中では意外とその存在を意識していないものかもしれません。ですが、地元を離れて帰ってきた時、それを目にすると「帰ってきた」と感じることができる、そういうものではないでしょうか。
住宅地の中にある五色塚古墳も、その周辺に暮らす人々にとってはいつもの風景かもしれません。ですが、ふとした時に「この町のランドマーク」だと誇れる、そういう存在でもあると思います。今後も神戸市職員の方々により様々な広報活動や新施設の建設などが予定されています。この先も神戸市の重要な史跡として、後世に継承されていくでしょう。
五色塚古墳 アクセス
住所:垂水区五色山4丁目1番地
アクセス:山陽電鉄「霞ヶ丘駅」から徒歩5分
JR神戸線「垂水駅」および山陽電鉄「山陽垂水駅」から徒歩10分
開園時間:9:00~17:00
休園日:4月~11月/なし、12月~翌年3月/月曜(祝日の場合はその翌日)、年末年始
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