国宝 高岡山瑞龍寺 前田家と共に歩んできた、国宝の風格を纏う寺院。

国宝 高岡山瑞龍寺 前田家と共に歩んできた、国宝の風格を纏う寺院。

前田家3代目藩主である前田利常により建立され、その壮麗な境内や伽藍が見応えがあることはもちろん、国宝に指定されている山門や仏殿は訪れる人を広大な空間で迎えます。

山号である「高岡山」は瑞龍寺と同じ禅宗の一派である日本黄檗(おうばく)宗の開祖・隠元隆琦(いんげんりゅうき)が揮毫(きごう)し、象徴的な伽藍や韋駄天(いだてん)像、烏枢沙摩(うすさま)明王(みょうおう)像などの神様を祀る非常に見応えのある寺院です。そんな寺院の見どころをご紹介します。

高岡山瑞龍寺とは

加賀百万石の基礎を築いた武将、前田利家・利長親子。利長は織田信長に仕え、後に領地として能登を与えられます。越中国の多くを領有し、一時は富山城にも居城していました。その後、現在の福井県武生市である越前国の府中城の城主となります。瑞龍寺は、その利長の菩薩をとむらうため、彼の弟である3代目藩主の前田利常により建立されました。

当時、寺院の敷地は3万6000坪と広大な面積があり、周囲には壕をめぐらせ、その姿はまさに城郭を思わせる堂々たる風格がありました。総門から山門へ続く道に見られる玉砂利の白さや、山門から先に続く芝生の緑も美しく見応えのある景観です。市街地から一歩足を踏み入れると、その静けさと荘厳さに、異空間を訪れたような心地がするでしょう。

そして平成9年12月3日、山門・仏殿・法堂が国宝に指定されました。他にも、総門・禅堂・大庫裏・回廊・大茶堂が国の重要文化財に指定され、禅宗寺院建築として非常に高い評価を得ています。

「7つの顔」を構える雄大な伽藍。

瑞龍寺の伽藍は、「七堂(しちどう)伽藍(がらん)」と呼ばれ、これは利長から加賀百万石を譲られた利常が、その恩を感じて建立したものです。主要な建物が7つあり、その建設期間は非常に長く約20年の歳月を要しました。

その壮大さは言うまでもなく、迫力の中にも厳かな雰囲気があり心を落ち着かせる空間となっています。伽藍の建築にあたったのは、近世の名匠山上(やまがみ)善(ぜ)右(ん)衛門(えもん)嘉(よし)広(ひろ)。山上は、利長の代より前田家からの信頼があり禅宗様建築をよく知る、近世工匠の中でもその腕前は随一とされた名大工の一人でした。

鎌倉時代に建設され、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左に僧侶が寝起きや座禅を行う「僧堂」、右には寺院の台所である「大庫裏(おおくり)」が左右対称に置かれています。周囲は回廊で結ばれ非常にゆとりある空間となっています。

守られるのは「食」、そして「トイレ」!?

また、禅宗で「東司(とうす)(トイレ)の守護神」と言われている「烏瑟沙摩(うすさま)明王(みょうおう)」が祀られており、通称「トイレの神様」と呼ばれています。元々は東司に祀られていましたが、その昔東司が火事で燃えてしまったため現在は法堂に祀られています。衣には彩色が使用された跡が残っており、県の重要文化財に指定されています。

この明王像は鎌倉時代の制作物と考えられており、右足一本で立ち、右手には矛、そして冠や光背には炎をつけた出で立ちです。足元にはイノシシの頭をもつ小さな人が跪く(ひざまず)ように作られており、これは明王が不浄な行いをしたイノシシを戒めている姿と言われています。

瑞龍寺では、この明王を描いたお札も扱っており、それを目よりも高い位置でトイレに貼ると不浄なことが祓われ、無病息災や安産、子孫・家門繁栄などのご利益があるとされています。

また、寺院の大庫裏正面には「韋駄天(いだてん)走り」の語源にもなった、足が速いとされている韋駄天像が祀られています。韋駄天は、お釈迦様のために各地を回り食べ物を集めたと言われている食の神様です。曹洞宗を含む禅宗の寺院では食事は修行の一つとされているため、瑞龍寺でも台所である庫裏(くり)に祀っています。

また伽藍を守る本尊でもあるため、立派な伽藍を構える瑞龍寺では欠くことのできない大切な存在です。この韋駄天像は中国から渡来した(はん)道生(どうせい)という仏師が、日本国内で製作した「唐仏(からぶつ)」と言われています。

今も残る、前田家への思い。

前田家と縁のあった瑞龍寺。現在でもその縁は受け継がれ、彼らを弔っています。前田利長の位牌を安置している法堂の内陣、その外側の一郭である外陣、そして客殿は書院造りになっており、内陣・外陣の天井には17世紀半ばから後半に活躍した、江戸狩野派の画家である狩野安信の百花草が描かれているのが印象的です。

寺院回廊の裏手には、祖先や個人の霊を祀る建物である「廟(びょう)」が5基建てられています。通常、廟は木造建築が主ですが、この廟は石をメインに作られた「石(いし)廟(びょう)」で、それぞれ前田利長・利家、織田信長、信長の側室正覚院(しょうがくいん)、織田信忠の石廟となり、1970年(昭和45年)に富山県の指定文化財に指定されました。

天皇陵にも見紛う、雄大な墓所。

寺院より徒歩3分。石灯篭が並ぶ八丁(はっちょう)(みち)と呼ばれる道を進むと、小さな森が見えてきます。そこに今も前田利長が眠る墓所があります。一大名の墓としては日本一の高さとされる11.9mの巨大な墓碑が建てられており、その墓碑の下部にある基壇は、約250㎡の三層からなる基壇となっています。

基壇の周囲には狩野探幽が描いたとされる130枚の蓮華図が刻まれています。さらに、この墓所には鳥居も建てられており、その見た目は天皇陵とも思えるような立派さです。その荘厳さを称えて平成21年には国の史跡に指定されました。通常、入れるのは鳥居の所までですが、9月13日に前田利長公顕彰祭の際には一般公開されています。

寺院周辺の見どころ

【麒麟茶屋】

令和2年に、この地がさらに賑わうようにという思いを込めて寺院の門前にオープンした甘味処である「麒麟茶屋」。名物である「麒麟焼き」には住職様自らがデザインした絵柄が描かれている特徴的な甘味です。店名の由来である麒麟は、動物園にいるキリンではなく中国の神話に登場する伝説上の霊獣です。

この麒麟は瑞獣とされ、鳳凰・(れい)(き)(おう)(りゅう)と共に「(し)(れい)」と呼ばれています。中国ではこの4つの動物は縁起ものとされており、瑞龍寺では法堂の欄間に「鳳凰」、境内にある塔頭(たっちゅう)(き)占寺(せんじ)には「亀」が置かれ、前田利長の戒名には「龍」が入っています。そして、門前に「麒麟茶屋」ができたことで四霊が揃いました。

【高岡新西国三十三観音霊場】

昭和3年に、高岡市内の寺院関係者により設立された高岡新西国三十三観音札所。西国三十三観音霊場に出向き、各札所から持ち帰った砂を、各寺の観音像の台座の下に埋め、そこにそれぞれ観音様が祀られています。高岡の三十三観音を巡れば西国三十三観音霊場巡礼と同じ御利益があると言われています。

寺院でのイベント

瑞龍寺ではお正月に始まり、2月には節分の他托鉢 涅槃団子作り、涅槃会の涅槃団子まき、6月・7月には一つやいと、烏瑟沙摩明王大祭、8月のお盆、秋の彼岸法要、11月には宝物展、そして12月31日は除夜の鐘と年間を通して行事が行われています。また春~冬まで季節ごとにライトアップのイベントがあり、これはただライトで照らすのではなく、音楽に合わせて赤や青、緑、紫などさまざまな色のライトで国宝の山門を浮かび上がらせています。寺院には県内外から多くの方が訪れ、「門前市」も同時に開催されます。期間中はお祭りのように大勢の方で賑わっています。

また、拝観説明も行っており、寺院の僧侶や観光ボランティアの方が常駐し寺院内を案内してくれます。寺院での葬儀や法要時には拝観説明はお休みのこともありますので、案内を受けたいという方は高岡市観光協会のボランティアの派遣にお申し込みをお願いします。※別途交通費1,000円を頂いております。

アクセス

国宝 高岡山瑞龍寺
住所:〒933-0863 富山県高岡市関本町35
TEL:0766-22-0179

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