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雲龍山勝興寺 江戸時代より継がれる、国宝の風格

大広間及び式台の写真

戦国時代にその起源を持ち、長い歴史の中で繁栄を極めてきた富山県高岡市伏木古国府に位置する勝興寺。

この寺院は、時を経て培われた伝統と歴史を誇り、「本堂」と「大広間及び式台」の二棟が国宝に指定されています。また、「唐門」や「経堂」を含む約10棟が重要文化財として登録されており、地域の風景を象徴する存在となっています。

勝興寺の豊かな歴史と伝統、そして寺院に伝わる神秘的な伝承についてお話を伺いました。

目次

雲龍山 勝興寺とは

本堂の写真

本願寺八世蓮如上人は、文明3年(1471年)に土山御坊を起源として浄土真宗の寺院を創建しました。この寺院は、一向一揆の中心的存在として栄え、その姿を現在まで保ち続けています。

天正12年(1584年)に現在の伏木古国府へ移転した後、江戸時代には本願寺や加賀藩前田家、公家などと深い交流を築き、北陸地方における浄土真宗信仰の中心的な寺院となりました。

今日においても、江戸時代から変わらぬ風景を伝え続けています。

江戸を感じる、壮麗な境内

境内上空の写真

特徴的なのは、江戸時代に建立された伽藍群です。これらの伽藍はほぼ全てが現存しており、実際に見学することが可能です。

さらに、平成10年から令和2年にかけて長期にわたる大規模修復が行われ、当時の優美な伽藍が見事に蘇りました。境内の広さは約3万平方メートルで、建立当初からその広大さは変わらず、圧倒的な存在感を放っています。

周囲には近代的な建物がほとんど存在せず、令和時代にもかかわらず境内に一歩足を踏み入れると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を楽しむことができます。

民衆に守られてきた、浄土真宗

本堂内観の写真

浄土真宗は、もともと広く民衆に開かれた宗教として発展してきました。

勝興寺も創建以来、地域の人々の手によってその姿を受け継ぎ、単なる「寺院」にとどまらず、地域にとって必要不可欠な存在であり続けています。これは決して容易なことではありません。

古来より地域住民の奉仕によって守られてきた勝興寺は、現在も地元住民との深い絆を保ち、この地にとって欠かせない寺院となっています。今なお富山県や高岡市の観光振興を支える中心的な施設として、地元の人々に愛され続けています。

山号の由来もここに。勝興寺に伝わる七不思議

山号の由来もここに。勝興寺に伝わる七不思議

勝興寺には、「実のならないイチョウ」や「雲龍の硯」など、古くから伝わる七不思議が存在します。山号「雲龍」の由来となった伝説を含む、7つの興味深いエピソードをご紹介します。

①天から降った石

天から降った石

約200年前、国分の浜に天から落ちてきたと伝えられる石があります。

夜になると波に打たれて泣いているような音がするため、勝興寺の本堂前に置いてみたところ、その音が止まったと言われています。しかし、なぜその石が天から降ってきたのか、詳しい理由は解明されていません。

②実のならない銀杏の木

実のならない銀杏の木

勝興寺の境内前庭には、樹齢300年以上のイチョウの木が二本植えられており、そのうちの一本は「実ならずの銀杏」として知られています。

昔々、子供たちが銀杏の実を採取しようと木に登り、落下して怪我をする事故や、実をめぐる喧嘩が頻発していました。これを受けて、住職は今後このような事態が起こらないようにと祈願しました。その結果、翌年からその銀杏の木には一粒の実もならなくなったと伝えられています。

③水の涸れない池

水の涸れない池

本堂の南側に位置する「永遠の水池」。

昔、勝興寺が火災に見舞われた際、経堂の壁面に刻まれた龍がこの池の水を口にくわえて火を消し止めました。それ以来、その龍が池の水を守り、決して枯れないよう見守っているという伝承があります。

実際、この池の水は干ばつの年でも枯れることはないと言われています。

④三葉の松

三葉の松

通常、松の木は二葉松として知られ、葉が二つありますが、勝興寺には葉が三枚ある松の木が存在します。この特別な松を見つけると極楽往生できると言われており、日本固有の三葉松は現在では非常に珍しいものとされています。

⑤屋根を支える猿

屋根を支える猿

本堂の四隅の屋根上には、屋根を支える姿を模した不思議な生き物の彫刻が施されています。

長い間「猿」として知られてきましたが、近年の調査により、実は裸にふんどしを纏った「天邪鬼(あまのじゃく)」であることが判明しました。肉眼では見つけにくいですが、参拝の際に探してみると楽しめます。

もし見つけられない場合は、書院に天邪鬼のレプリカを展示していますので、ぜひそちらもご覧ください。

⑥魔除けの柱

魔よけの柱

勝興寺の本堂は主にケヤキ材で建築されていますが、唯一の一本の柱には桜の木が使用され、逆さに配置されています。

この設計はあえて寺院に欠点を持たせるためとされており、昔はあえて一つの欠点を設けることで魔除けの効果を狙っていたと言われています。

⑦雲龍の硯

雲龍の硯

雲龍の硯は、蓮如上人が愛用していたことで知られています。親鸞聖人の教えを広く伝えるために、蓮如上人はこの硯を用いて文章を執筆していました。

その際、「蓮如上人が筆を取ると自然と水が出てきた」と伝えられており、これは硯自体が自然の力で水を湧き出す不思議な特性を持っていたとされています。この特別な硯にちなんで、勝興寺の山号「雲龍山」の名前が付けられたのです。

今後の展望について

2024年1月1日に発生した能登半島地震により、勝興寺も被害を受けました。今年度から修理工事を進める予定です。寺院の見学や参拝には支障はありませんが、元の美しい姿に戻すために全力を尽くします。

今後も地域の皆様に愛され、町のシンボルとして象徴的な寺院であり続けたいと考えています。また、地域の方々にはさまざまな行事の開催場所としても積極的にご利用いただきたいと思います。

寺院でのイベント・行事

2024年1月1日に発生した能登半島地震により、勝興寺も被害を受けました。今年度から修理工事を進める予定です。寺院の見学や参拝には支障はありませんが、元の美しい姿に戻すために全力を尽くします。

今後も地域の皆様に愛され、町のシンボルとして象徴的な寺院であり続けたいと考えています。また、地域の方々にはさまざまな行事の開催場所としても積極的にご利用いただきたいと思います。

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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