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天草四郎ミュージアム 日本とキリスト教を結ぶ、国内唯一の地

天草四郎ミュージアム外観

世界で最も信者が多い宗教、キリスト教。西欧をはじめ、アジア圏にもその信者は多く、世界中で多くの人々に信仰されている宗教です。

日本では「キリスト教徒」という人は他国に比べ多くはありませんが、12月にはキリストの生誕を祝うクリスマスで盛り上がり、結婚式では神父様の前で誓いを交わす人も多く、決して遠い国の宗教というわけではありません。

そんなキリスト教が日本でどんな存在だったのか、そして一つの宗教を巡って争われた過去と、その中心人物であった天草四郎の生涯を伝える施設をご紹介します。

目次

天草四郎とは

天草四郎の人物画

世界の中でもキリシタンの数が少ない日本。そんなこの国の人々でも、天草四郎の名は歴史の授業で必ず耳にしたことがあるはずです。彼はいったいどういう人物だったのでしょうか。

当時の島原城主であった松倉勝家が、領民の生活が困窮している中でも容赦のない年貢の取り立てを行いました。さらに、同じ頃禁教令の発令によりキリスト教が取り締まれられる時代となり、キリシタンたちは改宗を迫られていました。そんな中で、年貢を納められない農民や改宗を拒んだキリシタンたちに対して過剰な拷問や処刑を行いました。

この弾圧に対し、農民たちが幕府を相手に武力闘争を展開し、寛永14年~15年にかけて争われたのが「天草一揆」です。その戦いの中心人物として闘争を率いたのが、当時弱冠16歳の少年だった天草四郎。彼が生まれる25年前にマルコス宣教師が残した「25年後に神の子が出現し、人々を救う。」という予言に従うように、天草四郎は次々と奇跡と呼ばれる偉業を達成していきます。その様子から「神の子の再来」と呼ばれるようになり、一揆の総大将にまで押し立てられたのです。

しかし、その生涯には謎が多くいまだに彼がどういった人物で、どんな奇跡を起こしてきたのかは謎に包まれている部分も多くあります。ですが、両親ともにキリシタンであった彼もまた敬虔なキリスト教徒であり、自らの信仰心を守るため、そして同じ教えを守る者たちを救うために戦ったことは間違いありません。

天草四郎ミュージアムとは

施設内観写真①

八百万の神々を敬ってきた日本では、一神教であるキリスト教は相反する部分があり、今日に至るまで広く定着する宗教ではありません。しかし、そんな国にもキリスト教の歴史はあります。その、日本とキリスト教との関係性について深く学べる場所が、ここ天草四郎ミュージアムです。

鹿児島に伝来したキリスト教が、その後どのようにして天草の地に伝わったのか、キリシタンであった人々がどのように暮らしていたのかなどを、映像やジオラマなどで分かりやすく解説しています。「天草四郎ミュージアム」という名称ではありますが、彼に特化したミュージアムというわけでなく、キリスト教と日本の関わりがどのようなものであったか、その歴史を深く知れる場所です。

【天草四郎ミュージアム 特別インタビュー】

天草四郎ミュージアムの方にインタビューしました。

「キリスト教」とは何か、その入り口に立つ

天草四郎ミュージアム内観

日本でキリスト教について知れる施設というのはそう多くはないと思いますが、ここではどういったことを学べるのでしょうか。

まず、キリスト教が日本に伝わった歴史ですが、最初に伝わったのは鹿児島です。そこから少しずつこの天草へも伝わり、この地にもキリシタンが数多くいました。織田信長が日本を統治していた時代はキリスト教も容認されていましたから、何も問題はなかったのですが、その後秀吉の時代になり禁教令が発令されます。そうなると、やはり肩身の狭い思いをする人々が出てくるわけです。そんな中で一揆が起こり、天草四郎を中心とした人々が幕府へとその不満をぶつけ「天草一揆」となります。この施設では、キリスト教が日本に伝わってからの歴史、一揆が起こったきっかけやどのように争われたか、そして天草四郎の半生について紹介しています。

具体的にどういった形で紹介されているんでしょうか。

映像やジオラマを使ってご紹介しています。映画の上映も行っており、2021年までは実写映画にて上映していましたが、現在はアニメーション作品に変更しており、お子さんたちにも歴史などを分かりやすくご紹介しています。上映時間は12分ほどなので、見やすい内容にまとまっていると思いますよ。

分かりやすく学べるというのはいいですね!館内は2階建てとなっているようですが、2階ではどういった展示を行っていますか。

2階には「瞑想空間」と呼ばれる場所があるんですが、そこでは天草四郎の生涯についてマッピングを用いて紹介しています。そういった方法で紹介しているというのは他ではあまり聞かないので、当館ならではだと思います。

それは確かに珍しい方法ですね!ですが、ただ文字や写真などで見るよりも興味も沸きますし、印象に残りやすいかもしれませんね。来られる方には、海外からの方も多くいらっしゃいますか。た展示を行っていますか。

そうですね、日本の方も来られますし海外からの方も多いです。最近は韓国や台湾からの方が特に多く、理由としては地理的に来やすいというのが大きいと思います。地元の方が来られるということは少ないのですが、地域の小学生などは総合学習の一環でよく来られますよ。5年生や6年生になると歴史の授業で天草四郎の名前が出てきますから、より彼のことを知るためにも来られるようです。

マリア様が見守る、自由と平等を語る地

このミュージアムが建設されたきっかけというのは分かっているんでしょうか。

現在の上天草市が合併する前は、大矢野町という名前だったんですが1991年に大矢野町の町長が、カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇のヨハネパウロ2世に謁見に行きました。これは、かつての「島原・天草一揆」はただ幕府と争った戦争ではなく、自由と平等を勝ち取るための戦いであったということを訴えに行ったと言われています。そして、その事実を後世に伝えるため、日本におけるキリスト教の歴史を語り継ぐためにこのミュージアムが建設されました。天草四郎自身も、大矢野町の生まれではないかと言われていますから彼に所以のあるこの地に建てられました。1993年に着工し、1995年に開館したまだ新しい施設ですが、多くの方にご来館いただいています。

平成の時代に建てられたんですね!建物についてもお聞きしたいのですが、外観は真っ白で爽やかさと清らかさを感じます。この建物の建築面において特徴的な部分はありますか。

この建物自体が、上空から見るとキリスト教の象徴である十字架の形をしています。また建物を正面から見たときの形は、キリストの母である聖母マリア様がヴェールを被った姿をイメージしています。

なるほど!確かにそう言われて見てみると、日本人もよく目にするヴェールを被ったマリア様の姿に見えますね。外観の白さがマリア様の穏やかで温かい心を象徴しているように思われます。施設そのものはもちろん、この建物も貴重なものですね。

そうですね。来られる方もミュージアムだと思って来られている方は少ないんですよ。

え!そうなんですか!

皆さん、前を通りがかりマリア様のモニュメントを見て「マリア様がいるけれど、この施設は何だろう?」と思って入ってこられるようです。入ってみると、キリスト教に関する施設だと分かり興味深く見られるようです。

なるほど。このミュージアムの他に、天草四郎にちなんだものは何か残っているんでしょうか。

確実にそうだと言えるものは実はほとんどないんです。たとえば、天草四郎が生まれた後に産湯に使ったと言われている井戸がある、彼が登ったと言われている山がある、など少し伝承めいたものが多いんです。天草四郎に関する資料というのはほとんど残っていなくて、彼自身が謎に包まれている部分が非常に多いです。おそらく、禁教の際に幕府の人間が資料を焼いてしまったり、紛失してしまったりなどで残っていないのだと思います。日本のキリスト教を語る上ではとても重要な人物ですから、非常に残念ではありますが、そういったミステリアスな部分がより人を惹きつけるのかもしれませんね。

今後の展望

日本とキリスト教の関わりを深く伝えている施設は国内でも有数で、この天草四郎ミュージアムはとても貴重な施設だと言えます。

この施設でしか伝えられない歴史をこの先も伝えていきたい、そして天草四郎と言えばここ、と言っていただけるようにこの先もユニークなイベントを展開していきたいと思っています。

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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