イノシシ、孤児院、足腰の健康、子ども、『鬼滅の刃』、さざれ石…これらは全てある一つの神社にまつわる言葉です。岡山県和気町(わけちょう)。自然豊かなこの地にイノシシを守護として祀る神社があります。かつての貴族・和気清麻呂公(わけのきよまろ)とその姉である広虫姫(ひろむしひめ)を御祭神としてお祀りし、足腰の健康の神様、そして子どもの守り神として地域の方に愛されている神社です。偶然の一致ではありますが人気アニメ『鬼滅の刃』との関連性も深く、聖地巡礼も楽しめるスポットです。
今回は四季の植栽に触れ、和気氏が活躍した頃の文化にも触れられる、そんな豊かな体験ができる神社「和氣神社」をご紹介します。
和氣神社とは

イノシシに導かれた和気清麻呂公、孤児を育てた広虫姫などとても興味深いエピソードが数多くある和氣神社。
その創建は始まりを辿れないほど長く連綿と受け継がれてきた伝統と風格があります。植栽豊かな公園の隣に位置し、季節により様々な顔を見せてくれる神社です。境内には社殿のみならず民俗資料館や地域の方が利用できる茶室、郷土芸能伝承館なども併設し神社としての歴史だけでなく神社所縁の人物についての資料なども見ることができます。
また、国歌に登場する「さざれ石」を実際に見ることができる神社でもあり、参拝に訪れた人は興味深く見て行かれる方も多いそうです。そんな和氣神社のエピソードや訪れた際にぜひ注目してほしい部分について神社宮司の小森様にお話をお伺いしました。
【和氣神社 特別インタビュー】
神社と聞くと神様がいる厳かな空間、というイメージを持たれる方が多いと思います。ですが、この和氣神社ではそういった雰囲気だけでなく豊かな植栽や可愛い狛犬ならぬ「狛イノシシ」に出会うこともでき、楽しく参拝できるコンテンツが盛りだくさんです。その一つ一つについて、宮司様に詳しくお聞きしました。
不思議なイノシシの伝承と、慈悲に満ちた神様。


岡山県和気町にある神社様ということですが、足腰の健康の神様、そして子どもの守り神としてのご利益がある神社様と拝見しました。



そうですね。当社は主にその2つのご利益がある神社として知られています。当社でお祀りされているのは奈良時代から平安時代に活躍した、和気清麻呂公という和気氏の一族だった人物です。その和気清麻呂公が769年に起きた道鏡事件(どうきょうじけん※1)という事件に巻き込まれて、最終的に現在の鹿児島県に流されることになります。その道中、清麻呂公が足を患った際にイノシシに助けられて足が治ったという伝承があり、そこから足腰の健康にご利益のある神社となりました。子どもの守り神については、清麻呂公の姉にあたる和気広虫姫という人物に由来します。この方はとても慈悲深い方で、戦乱などで親を亡くした孤児を自分の元に養子として迎え日本最初の孤児院を開設し、生涯で83人の子どもを育てたという方なんです。そういった福祉事業の先駆けのようなことをされたので子どもの守り神として祀られています。
※1 道鏡事件…769年に発生した僧の道鏡が天皇の位を狙った事件。



83人!マザーテレサのような方だったんですね。現在でもそういったことを願われて参拝される方は多いのでしょうか。



はい。子どもの守り神ということですから安産祈願、初宮参り、七五三と子どもの成長の節目で訪れる方は多くいらっしゃいます。足腰の健康祈祷についてはある程度年齢を重ねると足腰が弱ってくるのでご年配の方が来られることも多いですし、スポーツをされている方で足腰の健康を願って来られる方もいます。足腰は人間の活動の要とも言えます。足腰を悪くすると気分も落ち込んでしまいますから、そういった方はぜひお参りに来ていただければと思います。



スポーツをされている方だと怪我も付き物ですし、そういったご利益のある神社様だともっと知ってほしいですね!
人気アニメとも関連あり!珍しい“狛イノシシ”。





では、この神社の歴史についてお聞きできますでしょうか。



神社の歴史というと創建からのお話になると思いますが、創建がいつ頃であったかはハッキリしていないんです。和気氏が活躍したのは奈良時代~平安時代なので、その時代に和気氏の氏神として創建されたのではという話もありますが定かではありません。



創建を辿れないほど長い歴史がある神社様ということですね。この場所に神社が造られた所以などは分かっているのでしょうか。



実は最初は今の場所とは違う場所に建てられていました。1500年代、戦国時代の頃に台風などの影響だと思われる大雨による大洪水があったんです。その当時当社があった場所のすぐ前にあった川が氾濫したそうなんです。そして、神社の建物も流されてしまいそこから北上した今の場所に遷されたと言われています。一説には、この辺りがかつて神様の信仰があった場所なのではないかと言われているので、そういった場所を選定して遷したのではないかとも言われています。



では、和氣神社様の魅力や特徴についてお聞きできますか。



先ほど足腰が治った所以として猪の話をしましたが、そのイノシシが和気清麻呂公を霊泉(それを飲んだり浴びたりすると不思議な効果があると言われている泉・温泉)に案内したと言われているんです。また他にも、イノシシが300頭現れて護衛として道案内をしたという伝承も残っており、イノシシはいわゆる神様の使いのような存在として認識されていました。なので、当社では狛犬ではなくイノシシが神社の守護として鎮座しています。あまり他の神社様では見られないと思うので、これは特徴の一つだと思います。



確かに他の神社様ではお聞きしない話ですね。来られた方は珍しそうに見て行かれますか。



そうですね。県内や近隣から来られた方はご存じの方も多いのですが、遠方から初めて来られた方は「狛犬じゃなくてイノシシなんですね!」と言われることも多いです。最近では山から下りて来て畑を荒らすこともあるので、厄介者というイメージもありますが当社では可愛らしい姿も見ていただければと思います。また、イノシシに所縁があるので獅子舞ならぬイノシシ舞も以前は行っていました。顔だけにイノシシのお面を付けて2人あるいは1人で舞うのですが、参拝者から、猪のお面を付けて1人で舞っている姿が人気アニメ『鬼滅の刃』の登場キャラクター“伊之助”に似ているという指摘があり少し話題になったんです。



それはすごいですね!そういった関係の取材なども受けられたんでしょうか。



そうですね。ブームになっていた当時は地元のテレビ局やNHK、ラジオの生放送に呼んでいただいたこともありました。またそれだけでなく、藤の花の匂いは鬼が嫌う匂いであるとか、作中で霞柱として登場する「時透無一郎」と当社の前に架かる霞橋との関連性や、蟲柱(むしばしら)の「胡蝶しのぶ」は御祭神の広虫姫と関連があるなど、本当にたまたまの偶然なのですが共通点がたくさんあり取材はたくさん受けました(笑)ただ、たとえば作中に出てくるような真二つに割れた岩など、そういった象徴的な写真が撮れるようなポイントがあまりないので、そこが少し残念だったかもしれません。



それはもったいないです!あれだけのヒット作との繋がりですから、もっと全国的に知られて作品のファンだけでなく様々な人に知ってほしいですね!



そうなってくれると嬉しいです!ただ、若い方にも来ていただきたいので年に3~4回コスプレイベントも開催しているんです。神社主催のイベントというわけではなく主催者は別にいるのですが、当社の境内で写真を撮りたいというお願いがあったので場所を貸し出しているという状況です。やはり時代物のコスプレをされるのであれば写真の背景もそういった文化的な建物があった方がいいですし、季節によっては桜や藤の花、紅葉と合わせて写真を撮れるので熱心な方はそういった時期を狙って来られる方もいます。



なるほど!それはいいですね。若い方を受け入れているというイメージにも繋がりますし、貴重な景観を上手く活かせると思います。
伝統の継承にも尽力。社殿に限らない境内の魅力。





では、神社建築の特徴についてお聞きできますか。



明治18年に神様をお祀りしている本殿、それを拝むための拝殿、そして本殿・拝殿に続いて造営された随神門という門を随時建て直しました。その建て直しを手掛けた大工さんが当寺名棟梁と呼ばれていた田淵勝義(たぶち かつよし)という大工さんでした。岡山県瀬戸内市に邑久町(おくちょう)という所があるのですが、当時そこに宮大工さんが多く住んでいる村がありました。その大工さんたちは皆さん腕が良いということで有名だったのですが、田淵さんはその中でも名棟梁と言われた人でした。その建築の特徴は、華美な彫刻が施されているという点です。当時、東日本では神社建築に彫刻を施すことは珍しくなかったのですが、西日本では珍しいことだったんです。ですが、田淵さんは自身で彫刻を彫る腕もあり明治に入り規制なども緩和されていたため少し華美なものになったのではないかと言われています。



神社建築に彫刻、というのは確かにあまり聞かないかもしれませんね。



建て直しについても、本殿・拝殿・随神門を順番に建て直したため非常にバランスよく配列されており、それぞれの建物も大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどいい調和の取れた建物になっています。



本当にたまたまの巡り合わせかもしれませんが、そういった腕のいい大工さんが建設に携わって下さったのは幸運でしたね。



そうですね。おそらく、当時の地元の有力者が力を入れたのではないかと思いますがだからこそ、現在のお社が出来上がったのだと思います。また、2023年には屋根の葺き替え工事も行いました。本殿は元々檜皮葺(ひわだぶき)だったのですがそれを過去に銅板葺に変えました。ですが、その銅板もそろそろ寿命、拝殿の屋根瓦も瓦がずれてきて危ないということで1年かけて銅板と瓦の葺き替え工事を行いました。



1年かけての大工事だったんですね!今仰った建物の他にも神社内には色々と建物や見どころがありますね。和気町立郷土芸能伝承館というものありますが、これはどういったものでしょうか。



こちらは郷土に伝わる伝統的なことを語り継ぎ受け継いでいく拠点として建てられた建物です。現在は、清麻呂太鼓という和太鼓の演奏グループが太鼓の練習をする場所として主に使われています。茶室もあり、こちらは地元の方がお茶会を開きたい時などに利用されることがあります。



では、和気町立民俗資料館というのはどういった建物でしょうか。



こちらは和気氏の資料などを収蔵しています。建物のすぐ横に清麻呂公の銅像がありその銅像の原型の石膏像を主に収蔵しています。また、当時家の中や田んぼ・畑仕事で使っていたような道具などの民俗資料を展示しています。そういった昔の物をきちんと展示して後世に伝えていこうという名目での資料館です。





当時の方がどうやって生活されていたかを知ることはとても重要だと思いますし、普段は目にすることができないので、学べる場所はとても貴重だと思います。



資料館では定期的に企画展を行い、コロナ以降は綿花から綿を糸にするようなワークショップも開催していました。



そういった文化体験を実際にできるというのも興味深いです!子どもたちにとってはとても刺激になりますし、学校では学べないことを学べる機会があって素敵です。社殿の他にも特徴的な部分があると思うのですが、こちらの綺麗な朱塗りの橋も綺麗ですね。





これは霞橋という橋なのですが、この霞橋を渡って階段を登った先が神社なんです。日笠川という川に架かる橋で、「俗界と聖界の境にある橋」とされています。この橋を区切りとして神社と橋の向こうの世界を区切っているというイメージです。また日笠川の両岸には芳嵐園(ほうらんえん)という公園もあり、約200本の桜が植えられています。
知っているけど見たことがない、“あの石”を見られる場所。





境内には国歌に出てくる「さざれ石」があると拝見しました。日本人なのに無知で恥ずかしいのですが、さざれ石というのはどういう石なのでしょうか…。



さざれ石は基本的には石灰岩なんです。雨などの水に濡れると石の表面がぬるぬるとするんです。その状態で石同士がくっつき年月を経るととても大きな岩になるんです。国歌で歌われているのは、小さな石同士がくっつき大きな岩になるまでにはとても長い年月がかかる、そしてそこに苔が蒸すほど長い年月という意味です。さざれ石のように長い時間、永遠に続きますように、という意味が込められています。



なるほど…。恥ずかしながら今初めて知りました(笑)ですが、それがどうしてこちらの神社にあるのでしょうか。



実は岐阜県の山の方に行くとこのさざれ石がたくさんあるそうなんです。それを近年の研究者のような方がさざれ石をもっと知ってほしいということで全国の神社に寄付しているらしいんです。そういった所以で当社にもあるということです。出雲大社にもあるんですよ。君が代の意味を知ってほしい、さざれ石の啓発活動のような感じかもしれません(笑)



そういうことだったんですね!来られた方は皆さん興味を持たれますか。



そうですね。一番興味を持たれていると思います。石の隣にさざれ石だと分かる立札もあるので、皆さん「これがさざれ石か!」という感じで見て行かれますよ。
200本の桜と藤の美しさ、四季の植栽が参拝者を魅了。







先ほど、併設されている公園のお話も出ましたが併設されている公園は藤公園と芳嵐園の2つでしょうか。



そうですね。芳嵐園は江戸時代の終り頃、疫病が流行った際に村の人々が疫病の終息を祈祷するとすぐに終息したので、感謝して桜を植えて公園として整備したそうです。コロナが流行した今のご時世にはとてもピッタリな場所です。藤公園の方は、ここが和気町藤野という地名なのですが、昔は藤の花が自生している野原だったのではないかと言われておりそういった所以から和気町が藤棚を作ろうということで作られた場所です。藤の花は手入れが大変なので上手に手入れをしないとここまでは咲かないんです。



とても大切にされている場所なんですね。芳嵐園ではおおよそ200本の桜があるということですが、お花見スポットとしてはとても良い場所ですね!



昔はカラオケの機材などを持ち寄ってお花見で宴会をされている方もいらっしゃったようです。今ではそういった方はあまりいませんが、お花見シーズンには地元の方も多くいらっしゃいます。和気町は観光資源が豊かな町、というわけではないのですが神社を中心に銅像や資料館があったり公園があったりと一つの文化ゾーンとして整備されていると思います。



参拝という目的だけでなく、他の文化面や種類豊富な植栽に触れることもできるようなので、一日楽しめるゾーンですね!



季節によってはそうかもしれません。社殿の周りにはツバキを120本ほど植えています。侘助(わびすけ)と太郎冠者(たろうかじゃ)という少し珍しい品種のツバキなので、この品種がまとまって見られる場所は少ないということで見に来られる方もいらっしゃいます。神社の裏山はぐるっと一周できるような散歩道になっていますので秋は紅葉も楽しめます。こういった都会を離れた場所にせっかく来ていただけるのであれば四季の移ろいを楽しんでほしいと思います。





地元の方との交流行事は何かされていますか。



他の神社様でもやられているような行事ではありますが、春祭りや秋祭りは地域の方が中心となって子ども神輿が出るなどの賑わいがあります。参拝される方は地元の方もいらっしゃいますが、本当に近所の方というよりは近隣の市町村から来られる方が多いのかなという印象です。お正月であれば関西方面から初詣ツアーのような形で来られる方もいますし、四季折々の風景を楽しみに来られる方もいます。お子様の受験の際に御守を受けに来られたり、藤公園で行われる藤まつりの際にはアジア系の方をはじめとした海外からの方も見かけます。
今後の展望
都会では感じられる瞬間が少ない四季の美しさを感じてほしい。そして、足腰の健康や子どもの守り神でもあるので、散歩がてらでも観光のついででも構わないので参拝いただきご祈祷を受けていただければと思っています。
アニメとの共通点など話題性に富む部分もあるのでそういったコンテンツが好きな方同士で来られたり、ご家族での参拝など、様々な方が訪れて楽しめる神社になりたいと思っています。
インタビューまとめ
お話をお聞きして本当に見るべきポイントがたくさんの魅力あふれる神社様だと感じました。一般的に怖いイメージが付いているイノシシも、この神社の狛イノシシの姿を見れば何だか愛らしく思えてくるものです。芳嵐園に咲く200本の桜、手入れが行き届いた美しい藤の花はまるで花のシャワーの中を歩いているような美しさです。都心部ではなかなか感じることができない貴重な四季のシーン。
神社への参拝だけでなく、それ以外の部分でも心が潤う瞬間に出会えます。人気アニメとの関連や多くの人が実物を見たことがないであろうさざれ石の実物など、訪れて楽しめる神社様です。寒い冬を超えて春になる頃、桜のシャワーを浴びに足を運んでみてもいいのではないでしょうか。
和氣神社 アクセス
住所:〒709-0412 岡山県和気郡和気町藤野1385(藤公園隣り)
TEL:0869-93-3910(受付/8:00~17:00)
URL:https://wake-jinjya.com/
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