全国各地に残るお城。それは日本の歴史を語る上で欠かせない存在であり、数多くのお城がその姿を今に留めています。それらは間違いなく後世に受け継がれるべき遺産であり、我が国が誇るべき財産です。しかし、受け継がれるべきものはお城そのものだけではありません。
かつてお城があった場所「城跡(しろあと)」もまた、忘れてはならない貴重な財産です。今回は、「絶景の城」として知られる鳥取県米子市に存在する「米子城跡」について、その価値を追求するインタビューを行いました。
米子城跡とは
戦国時代末期、日本海を広く見晴らすことができる米子市の湊山に城が築城されました。朝鮮半島を目の先に、海を越えてやって来る敵襲を真っ先に確認できる「日本海の護り」のような存在として建てられましたが江戸時代が終わると廃城となり、その後、数十年の時を経て城跡として整備されました。
現在の形として整備されたのは平成後期ですが、そこに至るまでには「地元の人にここが立派な場所であると知ってほしい」という、整備を行った方々の思いがありました。ただの城山ではなく、かつて重要なお城があった城跡である、その情報を知らせることで地元の方々も徐々にその価値に気づき、現在では米子市内・鳥取県内のみならず、県外からも多くの観光客の方が訪れる観光名所となりました。
その米子城跡の魅力、そして米子市にまつわる意外なエピソードを、米子市のご担当者様に伺いました。
【米子城跡 特別インタビュー】

始まりは、秀吉の野望。築城に選ばれた場所

米子城跡は「絶景の城」として知られているとお聞きしました。



はい、近年「絶景の城」としてメディアなどで取り上げていただくことが多いです。米子城跡本丸は標高約90mの高さにあり周囲には遮るものが何もないため、360度のパノラマビューが広がっています。天守台からは大山を見晴らし、眼下には米子市の市街地が広がります。日本海はもちろん大山の反対側にある中海(なかうみ)という湖も見晴らすことができ、絶景ポイントは多くあります。



訪れる方はやはり皆様絶景を楽しんでいかれますか。



そうですね。時期によっては景色を楽しんでいただけるようなイベントも開催しているので、そういったイベントを通じて市内の方だけでなく県外からも大勢来てくださいます。



眺望が素晴らしいのはもちろんですが、他の見どころはどういったところでしょうか。



米子城の歴史からお話しましょう。米子城は戦国時代の終わりに築き始められたお城です。豊臣秀吉が天下統一したお話は皆さんご存じですが、実はその後に中国の皇帝になろうとしたことはご存じでない方が多いと思います。



秀吉が中国の皇帝ですか!?それは初めて聞きました。



実はそうなんです。中国の皇帝を目指してまずは朝鮮を攻めようと出兵しました。これが「文禄・慶長の役」と呼ばれるもので、1592年~1598年にかけて争われた戦いです。その戦いが始まる前年、1591年に米子城の築城が始まりました。同じ頃、高知県の浦戸城、佐賀県の肥前名護屋城が築城され、米子・浦戸・肥前名護屋の3つのお城は同じ年に建てられました。築城の目的としては、おそらくこの米子城を日本海側の護り、高知の浦戸城を太平洋側の護りとし、肥前名護屋城が秀吉の大本営だったのではないかと言われています。そういった大規模な作戦のもとに築かれたお城、というのも特徴の一つです。



全く知りませんでした!秀吉は日本に留まらずアジアにも進出しようとしていたんですね!



そうなんです。ここは、山も海も一望できますから、きっとそういう場所を選んで造られたんだと思います。選ばれてお城が建った場所、というのも特徴の一つですね。



それを聞くと尚一層貴重な場所に思えますね!登城された方は、眺望にはもちろん感動されると思いますが、こういったところが良かった、というお声はありますか。



やはり、石垣ですね。当時の石垣がそのままとても綺麗に残されているので、天守はありませんがその石垣の壮大さには皆さん驚かれるようです。これだけの見晴らしがある場所というのは貴重なので、そういった点に皆さん見応えを感じられるようですね。



こちらが城跡として現在の形で公開されたのはいつ頃からでしょうか。



本格的に整備し始めたのは平成27年度頃からです。米子城は江戸時代が終わり廃城になった後、そのまま放置されていました。ですから地元の方は皆さん城山というただの山だと思っていたようです。その当時は下から石垣も見えず、上からの眺望もあまり見えなかったんです。そこで、まずは発掘調査をしようということになり地下に眠っている遺構を確認しました。その後、樹木の伐採なども行い眺望をスッキリと見えるように整え、安全面でも整備されました。そうすることで、現在のように下から石垣が見えるお城になり、地元の方もその価値に気づき始めたんです。やはり人は見えない物に価値を見出さないので、まずは見せることでその価値に気づいてもらおうと試み、その結果絶景の城というありがたい称号を頂きました。本当に、すごく魅力がある場所だということをお伝えしたいです!



ホームページも拝見しましたが、想像を上回る素晴らしさがあると思います!



ありがとうございます。実際、そういったお声も多いんです。来られる方の中には、「こんなに素晴らしい場所だとは思わなかった」と仰る方も大勢いて、気づいていただけて嬉しいですね。



また、オレンジロードという夕日の絶景も見られるということですが。



オレンジロードは、ずっと見られるわけではないんですが5月などの時期に中海に日が沈む様子がとても綺麗で、それを撮りたいと訪れる写真家の方々もいらっしゃいます。オレンジロードの期間中にはイベントなども行っており、日が沈んだ後は東から大山の辺りに月が見えるなど、とてもロマンチックな光景を見ることができます。





本当にこれは美しい光景ですね!撮影のしがいがありそうです。



眼下には、米子の町中の夜景がキラキラと光っていてとても綺麗ですので、この光景だけでも見に来ていただく価値があると思っています。
そこに見えるは、あの頃の武将たちの夢。







では、米子城を含めた城跡の建築部分で特徴的なポイントはありますか。



これもやはり石垣です。多くのお城の石垣は横に塀のように並べられていますが、米子城の石垣には万里の長城のように斜面を登っていくようなイメージで造られた「登り石垣」という石垣があります。戦国時代に築かれたものがそのまま残っており、吉川広家(きっかわひろいえ)、中村一忠(なかむらかずただ)、加藤貞泰(かとうさだやす)、そして江戸時代になると鳥取藩の池田家が城主となり、城主が代わることで石垣の造りも少しずつ変わっていきます。城跡にはリフトなどを付けて整備されることも多いですが、ここは放置されていた場所なので(笑)ここに登れば江戸時代に還れるんです!当時の武将が見ていた風景をそのまま見ることができる、まさに武将の夢が眼前に広がるんです。



武将の夢!素敵です!確かにそうですね、地形は当時と変わっていませんから、当時の空と山、海を同じ場所から見ることができるんですね。



海を越えれば朝鮮半島がありますから、当時は海の向こうから敵が襲来するであろう様子を全て見ることができたと思います。その緊迫感は相当なものだったと思います。実際現在でも天守台に登ると日本海を航行する船が全て見られるんです!それだけ全体を見張れる場所ということですから、敵を見張る上でこれ以上の場所はなかったと思います。
価値の継承は市民自ら。市民と共に守る城跡。



では、周辺景観についてお聞きしたいのですが。アクセスはどういったものでしょうか。



JR米子駅から城跡までは徒歩15分ほどで、城跡の下から天守までは同じ徒歩15分ほどです。30分ほど歩いていただくと天守まで登っていただくことができます。駅からは一本道なので迷うこともありませんし、城下町が駅に近いので、駅の周辺というイメージでアクセスできるかと思います。



立派な場所ではありますが、アクセスも不便というわけではないんですね!ここもポイントの一つかと思います。観光客の方はもちろん大勢来られると思いますが、地元の方の来城はいかがでしょうか。



城山、と言われていた時代は正直あまり人が来ることはありませんでした。そこにお城があるという認識がなかったので、訪れる場所というよりは庭代わりに遊んでいた子どもたちなどが多かったと思います。ですが、現在のように綺麗に整備することで地元の方にもこの場所への誇りが芽生え、民間の方の活動も盛んになってきています。来城者数も増えていますから、来られる方々をおもてなしする気持ちでボランティアの方が草刈りをしてくれるなど一緒に運営してくれています。ボランティアの方は男女問わず30~50人ほどが集まってくださいます。地元の高校生や若い方にはデートスポットとしても利用いただいています!上に登るとベンチがありますので、皆さんお好きな場所で風景を楽しまれているようです。





まさに市民と共に守り、市民に愛される風景なんですね。



本当にそうです。また、本当にご近所の方であれば、健康のための散歩コースにされている高齢の方もいらっしゃいますし、高校生の方が登られているのを見かけることもよくあります。皆さんの憩いの場となっているのだなと実感しています。



ボランティアの方が進んで整備してくださるというのは、本当にありがたいですね!



そうなんです!市でも業者に依頼して除草作業は行っていますがすぐに生えてくるので、本当に助かっています。それだけ、訪れた方に気持ちよく過ごしてほしいという気持ちを持っていただけているのだと思います。地元のみんなで盛り上げていこうという雰囲気があると思います!









これだけの素晴らしい場所ですから、今後も整備をして綺麗に残していってほしいですね!



はい。米子城跡を魅せるというプロジェクトも、まずは市民の人々に「ここは城山じゃなくて城跡であり、しっかりと誇れるものなんだ」ということを分かってほしいという思いからスタートしました。米子市は人口15万人ほどなので、とてもコンパクトです。山と海があり、町があるというとてもシンプルな景観で、建物なども多くはありませんから、それ故に景観が保たれているという部分があります。大規模な都市ではありませんが、だからこそ守られているものもあると思います。



そうですね。本当に素晴らしい立地と景観です。こういった歴史に関する場所ですが、海外からの観光客の方もいらっしゃいますか。



徐々に増えてきていると思います!米子城に対する認知度も高まってきているので、城跡に来られる方も多いです。また、近隣にある『米子市立山陰歴史館』という施設では、米子城を含めて米子市の歴史のガイダンスを行っており、海外からの方はそこに立ち寄られてからこちらに来るという方が多いようです。英語のパンフレットもご用意しています。



どうしても、お城というとお城そのものに目がいきがちですが、これだけの跡が残っている場所は貴重なので、この景色を見に来るだけでも価値があると思います!



先ほどアクセスの話もありましたが、米子市の隣市である境港市には米子鬼太郎空港という空港もあり、新型コロナが収まってきた近年では韓国や香港からの直行便も復活しました。JR米子駅だけではなく空の玄関口からもアクセスできますので、そういった点が海外の方が来やすい理由の一つだと思います。



それは便利ですね!直行便で来ることができればあっという間にアクセスできますね。海外からの方は、日本の方と見られている部分が違うな、と感じられることはありますか。



以前、外国人観光客の方に城跡と城下町をご案内したのですが、町屋的な景観を気に入っていらっしゃいました。道にある何気ないマンホールや道路の交差の仕方など、我々には日常の風景として映っているものに感動されていました!





それは興味深いですね!



お濠に通じる加茂川という川があるのですが、その川の在り方や橋のかかり方、そういった風景に感銘を受けておられました。城下町は町屋の間口に対して税金がかけられていたため、うなぎの寝床とも言われるような長細い建物があるのですが、その家の造りにとても喜んでおられました!ある方はリッチハウス、プアハウスという表現もされていました(笑)日本人には出てこない発想なので、生活の中に溶け込んでいる風景を喜んでいただけるのは嬉しいです。
米子から岩国へ、殿様を追いかけた白蛇の民話。



では、米子城跡や米子市にまつわるエピソードは何かありますか。



一つ面白い民話があります。岩国で有名な白蛇はご存じでしょうか。



はい、少しお聞きしたことがあります。



岩国では天然記念物に指定されている白蛇ですが、あれは実は米子から来た蛇だと言われているんです!



え!?岩国が発祥のものではないんですか!?



あくまで民話ですが。かつて米子城を最初に築いた吉川広家(毛利元就の孫)という武将がいました。彼には娘がおりその娘が白蛇を可愛がっていたそうです。ところが戦いに敗れ毛利も西の方へ飛ばされて、広家も岩国へ行くことになりました。当然娘も同行したのですが、その時に娘や広家が乗った籠の後ろを白蛇が付いていき、そのまま岩国に住み着いて、あちらの天然記念物になったというお話があります。



そうなんですか!全く知りませんでした…。岩国の方はびっくりですよね。



実は、私はこのお話を岩国で話したことがあるのですが、その時はとても喜んでいただいていました。後から白蛇記念館の方が「この話は本当ですか!?」とお電話してこられたほど、岩国の方にとってはビッグニュースだったようです(笑)



すごいですね!ですが、言われてみればたしかに、いつから白蛇が?という疑問はありますから、案外本当かもしれませんね!



実際、米子城のふもとには今でも蛇塚というものがありますので、本当かもしれませんね。いずれにしても、お殿様に付いて行った白蛇、というのもちょっとかわいいですよね(笑)
米子城跡でのイベント


米子城跡での最も大きなイベントが、ダイヤモンド大山の観望会です。10月22日前後、2月20日前後の天候に恵まれた日に見られる、朝日が大山の頂上に重なって出てくる景色があります。米子城跡から大山を一望できることはもちろん、一年のうちでも限られた日にしか見られないこの光景を一目見ようと、多くの方が訪れています。10月にはダイヤモンド大山の観望会を大々的に開催し、その際には米子城武者隊という甲冑を着て武将になりきった方が演武を披露する催しも行われています。例年1000人~2000人の人出があり、米子城跡での一大イベントです。


そして、インタビューでも名前の出たオレンジロード。中海に沈みゆく夕日を眺めながら過ごす時間は実に心洗われる時間です。夏・秋・冬の3シーズンには一定期間ライトアップも行い、季節毎にライトの色も変えています、このライトアップイベントは、夏・冬では米子城跡だけではなくJR米子駅周辺の施設も一斉にライトアップされキラキラと輝く町中を見ることができます。




お正月には「新年あけまして米子城!」という、初日の出を見るイベントも毎年行っています。こうしたイベントには、それぞれ多くの人出があり街の活性化にも繋がっています。今後もさまざまなイベントを開催していきたいと考えています。


今後の展望


現在、米子城跡では野球場があった三の丸という場所の整備を進めています。球場施設を全て取り払い、発掘調査を行い築城当時の状態に復元しようと試みています。発掘調査では米蔵も発見されており、そのように発見されたものも復元展示し城跡のおもてなしをする玄関口として整備したいと計画しています。ライトアップの時期は本当に町全体を美しく見ることができますので、ホームページでの告知などを参考にぜひ一度訪れてほしいと思います。
インタビューまとめ
これまでお城そのものに、立派・美しいという感情を抱いたことはありましたが、城跡という存在には目を向けることがありませんでした。しかし、今回米子城跡についてインタビューをする中で城跡の価値を日本人はもっと知るべきではないか、と心から思いました。これほどまでに素晴らしい景色を見られる場所は、そう出会えるものではなく、まだまだその存在を知らない人がいるという事実は本当にもったいないと感じました。現代では、海の向こうから敵が攻め込んでくることはありません。城跡から見える景色は築城当時のままでも、時代は移り平和な世が訪れています。戦国の世では敵の襲来を見張り続けた場所は、この先の世では穏やかな米子の町とそこに暮らす人々の暮らしを見守り続ける場所として愛されていくでしょう。
アクセス
米子城跡 鳥取県米子市久米町
【公共交通機関・車でのアクセス】
・バスの場合⇒米子鬼太郎空港 約25分 米子駅
・車の場合⇒鳥取方面から:山陰道米子中ICより約10分 / 松江方面から:山陰道米子西ICより約10分
・電車の場合⇒米子空港駅(JR境線) 約25分 米子駅
【米子城跡まで】
米子駅から徒歩:枡形入口まで約15分
米子駅から路線バス:「米子城入口」下車、徒歩約3分
米子駅からコミュニティバス:だんだんパス歴史コース「米子城前」下車、徒歩約1分
車の場合:米子城跡三の丸駐車場または湊山公園駐車場をご利用ください。
※登り口から山頂の天守まで15分ほどかかります。
URL https://www.city.yonago.lg.jp/17789.htm
https://yonagocastle.com/
【問い合わせ】
米子市経済部文化観光局文化振興課
住所:〒683-8686 鳥取県米子市東町161-2(市役所第2庁舎3階)
受付時間:8:30~17:15(土日祝休)
TEL:0859-23-5436
FAX:0859-23-5414
Email:bunka@city.yonago.lg.jp
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