十一面観世音菩薩をご本尊とする奈良県桜井市に位置する長谷寺。初瀬山(はつせやま)の中腹に堂々と建つその姿は、これまで寺院が歩んできた歴史の長さと重みを感じさせる風格を纏っています。
本堂へ続く339段の登廊、四季を楽しむ豊かな植栽など、ただ参拝するだけでなく寺院への訪問そのものを楽しめる特徴が多くあります。そんな長谷寺の魅力に迫るインタビューをお届けします。
総本山 長谷寺とは
その創建は686年。十一面観世音菩薩をご本尊とし奈良時代の僧であった徳道上人が造立しました。以後、幾度も災禍に見舞われ室町時代に大仏師運宗らにより現在の御尊像が造立されました。
かねてより「花の御寺」として地域の人々に親しまれ、訪れる方の中には季節ごとの植栽に魅了される人は少なくありません。
【長谷寺特別インタビュー】
牡丹をはじめ、現在では紫陽花の季節の美しさは特に知られており、シーズンには多くの観光客の方が参拝に訪れます。かつて、多くの偉人も参ったこの寺院のこれまでの歩みと今後の展望についてお聞きしました。
国が認めた大規模寺院
まず、長谷寺の歴史についてお聞きできますか。
創建は686年です。道明上人という人物が現在の五重塔が建っているあたりに天武天皇の病気治癒を祈願して「銅板法華説相図」というものを建立しました。
銅板法華説相図、これはどういうものでしょうか。
約80㎝四方ほどの銅板に、お釈迦様が説かれた教えである「法華経」の第11章「見宝塔品」を表現したものです。釈迦の説法中に宝塔が出現し、過去仏(釈迦が悟りを得る前に存在していた仏)である多宝如来が釈迦を讃えて塔内に招き入れる場面で、現存するその銅板は国宝に指定されています。普段は奈良国立博物館に収蔵されていますが、長谷寺の宝物館でレプリカを展示しています。これにより長谷寺の本堂が建立され、本長谷寺と呼ばれ寺院の歴史が始まりました。その後国家が認める官寺に昇格し、長谷観音様の信仰を中心とした大きな寺院として人々に信仰されてきました。
当時から重要な寺院として栄えてきたのですね。
では、寺院の建築において特徴的な部分はありますか。
長谷寺は、初瀬山という山の中腹に建っている山寺です。平地に建っている寺院とは違い山の斜面に伽藍が配置されているのが特徴です。仁王門を入って目線を上に上げていただくと本堂が見えます。多くの寺院では、本堂は「奥」に見えるものですが、山寺なので奥ではなく「上」にあるのが特徴の一つです。本堂へ続く登廊には339段の階段があり、本堂は国宝に指定されている風格のある建築物です。
339段!それはすごい段数ですね。外から見ても迫力がありそうです。
まさに、この339段の登廊は長谷寺のランドマークとも言えます!参拝される方には「立派な登廊が印象的」とおっしゃる方もいらっしゃいます。また、本堂には「懸造」と呼ばれる建築法が用いられています。これは、橋桁を組んだ柱により上面を支える建築法で、本堂の半分以上が地面についておらずせり出す形になっているのが特徴です。この造りは山寺独特の造り方で、京都の清水寺でも同じような伽藍配置がされています。
山寺ならではの特徴的な建築が様々なところに見られるのですね。
ホームページを拝見すると、寺院の建物自体もかなり大規模な印象を受けます。
そうですね、このお寺の印象として想像していたよりもとても大きいという点があります。長谷寺は全国に300カ寺ほどあり、一番有名なのは鎌倉の長谷寺ですが、そちらをご存知の方は鎌倉と同程度の規模を想像して来られる方が多いので、実際に訪れるとその大きさに驚かれるようです。観音様も大きくとても見応えがある寺院です。
偉人も愛した、「瀬」が始まる地
長谷寺が位置している地名はまさに「初瀬」という名前ですが、この長谷寺の名称も地名と関係があるのでしょうか。
この近くに「初瀬川」という川があります。その瀬は下流に下ると大和川へ流れ、そこから大阪の淀川、最終的には大阪湾に繋がっています。かつては交通手段として水運を利用しており、船が出入りできたのが初瀬の場所までだったようです。そこで「瀬が始まる場所」ということで、「初瀬」という名前がつきました。その場所が長い谷の一番奥まった所にあったため「長谷の初瀬」という枕詞ができ、長谷とかいて「はせ」と読むようになったそうです。
かつては偉人も多数訪れていたという記録もあるようですが。
ええ、たとえば藤原道長が参拝した記録があります。赤染衛門や蜻蛉日記の作者なども参拝に訪れています。清少納言が記した『枕草子』の中にも長谷寺に参った記述がありますし、源氏物語にも長谷寺が舞台になった『玉鬘』という物語があります。当時は長谷寺に参拝することが一つのブームになっていたようで「長谷詣で」とも呼ばれていました。
名称が付くほど、ポピュラーな行事だったのですね。偉人にも愛されていた長谷寺ですが、現在は地元の方にとってはどんな存在でしょうか。
地域の方というのは、日常の中で長谷寺や観音様を信仰されています。毎日朝の勤行をしているのですが、近隣の方には頻繁にその勤行に参加される方もいらっしゃいます。一日の始まりに長谷寺で勤行を、という方もいらっしゃるようで生活の一部になっていると言えるかもしれませんね。
地域に暮らす方ならではのエピソードですね。では、地域との交流イベントなどはありますか。
たとえば節分ですね。地元の商店街と共同で主催し長谷寺で節分行事を開催しています。来られる方は観光客の方が圧倒的に多くはなりますが、地元の方との繋がりも大切にしています。また、三社権現綱掛祭(さんじゃごんげんつなかけさい)という地域の村落を守護するいわゆる地主神を祀り、新しくしめ縄である綱を架け替える儀式があり、今でもその地域に住む新成人に補任状という官職を与えるという事をしております。
四季のうつろいを、花に感じる
この長谷寺は、非常に植栽が美しいことで有名な寺院だと伺っています。
具体的には、どういった草花を見ることができますか。
元々は牡丹の花が有名なお寺だったのですが、近年では紫陽花の植栽がとても美しいとネット上でも話題になり、牡丹よりも紫陽花の時期の方が見に来られる方は多くなっている印象です。
ホームページなどを拝見したところ、寺院周辺はもちろん境内などにもとても植物の種類が多いという印象です。
ええ、長谷寺は「花の御寺」とも言われるほど植栽が豊かな寺院です。年間を通じて様々な花が咲いており、季節ごとに咲く花々を楽しみにされている地元の方も多くいらっしゃいます。
年間を通じて、ということですがたとえば一年はどんな植物から始まりますか。
まず、2月頃に咲く梅の花から始まります。この梅にも少しエピソードがあり、平安時代の歌人である紀貫之が詠んだ百人一首の「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」という詩がありますが、この「花ぞ」というのは梅のことを指しています。その時に詠まれた梅の木が境内にあり、かつての歌人も詩に詠むように花をたしなんだというのが分かります。ただ花を見て楽しむだけでなく、そういった歴史的・文化的な広がりを感じてもらうこともできます。
かつての歌人にも愛された花なのですね。梅の後は春が来る、というイメージですが、やはり桜でしょうか。
ええ、梅のあとは桜です。長谷寺は山の中腹に建つ山寺ですが、その山全体に桜の木があり、桜の時期には多くの桜を楽しむことができます。その種類も豊富で、ソメイヨシノはもちろん、早咲きの河津桜、遅咲きの八重桜もあります。ですから、世間で桜が咲く少し前から桜が咲き、時期が終わった後も楽しめるというように、長い期間桜を楽しむことができるのが特徴です。奈良で桜と言えば吉野の桜が有名ですが、長谷寺の桜もとても美しいです。吉野ほど人が多くないのでお花見の穴場スポットとも言えるかもしれません。
それはいいですね!ゆっくりとお花見ができそうです。
その後、牡丹のシーズンになります。仁王門から本堂に続く登廊の両サイドには牡丹の花が植えられていて、その香りも楽しみながら登っていただけます。牡丹が終われば紫陽花です。先ほどもお話ししたように紫陽花のシーズンは見に来られる方も多くにぎやかです。牡丹のシーズンはご年配の方が多いですが、紫陽花は雨との相性も良く色味も鮮やかですから、若い方などはSNS映えするということで写真を撮られる方も多いですよ。その後は蓮の花が続き、9月には菊、秋には紅葉が色づきます。本当に一年を通して植栽を楽しめる寺院となっています。
伝承に見る、長谷寺の隆盛
では、寺院にまつわるエピソードなどはありますか。
数えればキリがないほどたくさんありますよ!たとえば、有名な『わらしべ長者』のお話がありますよね。あの物語には長谷寺が関係しています。物語の主人公がお参りした寺院として長谷寺が登場しており、ここから京都へ帰る道中の物語がわらしべ長者なんです。
そうなんですね!
有名な物語にも登場するほど隆盛していた寺院ということですね。
ええ、そういう存在だったと思います。他にも、大阪の交野市の『鉢かづき姫』という伝承にも長谷寺の長谷観音様が登場しますし、石川県金沢市の「金沢」の由来とされている「芋掘藤五郎」のお話しにも長谷寺が関係しています。このように、挙げればキリがないほど長谷寺が登場する伝承や逸話というのは多いんです。それは昔からこの長谷寺が人々に親しまれていたという証でもあります。
寺院でのイベント
毎年2月14日、世間がバレンタインで賑わうこの日、長谷寺でも特別なイベント「修二会結願だだおし法要」という行事が執り行われます。通称「だだおし法要」と呼ばれるこの行事は、旧年中の行いなどを観音様の御前で懺悔する「悔過」を行う「修二会」の最終日に行われる鬼払いの儀式です。
大きな松明を持った鬼が出てきて本堂の周囲を回りますが、寺院創始者である徳道上人が閻魔大王より授かった「檀拏印」を押し、法力を持った「牛玉札」で鬼を退散させる、という行事です。地域の子どもたちにとっては「悪いことをするとやってくる鬼」というイメージでも親しまれており、長く続くイベントの一つです。
今後の展望
令和8年、長谷寺開山から1300年を迎えるにあたり長谷寺本堂でも開山を記念する法要が営まれました。また、同年長谷十一面観音菩薩が建立されてから1300年を迎えます。また、長谷十一面観音菩薩は日本最大級の木造仏で、徳道上人が天平元年(729年)に完成したとされています。
その節目に向けて今よりもっと長谷観音様のことを周知していきたいと考えています。大画軸という、長谷観音様を絵図にした16mの大きな掛け軸があり、それを様々な場所へ持ち運び長谷寺に伝わっている、お経にメロディーをつけた「声明」を唱え長谷の雰囲気を味わってもらいたいと考えています。
お声がかかればどこへでも駆けつけたいと思っているので、イベントなどを計画している方がいればぜひ参加させていただければと思っています。
インタビューまとめ
花で季節を楽しみ、伝承でその歴史の長さと壮大さを感じる寺院、長谷寺。時代が移ってもその美しさと歴史は色褪せることなく令和の世でも語り継がれています。
奈良と言えば、東大寺の大仏・奈良公園・吉野の千本桜など数多くの名所が存在しますがここ桜井でも思わず足を止めてしまうような美しい光景に出会えます。奈良へ行くなら桜井へ、桜井へ来たなら長谷寺へ。そんな声がもっともっと広まることを願っています。
アクセス
総本山 長谷寺
住所:〒633-0112 奈良県桜井市初瀬731-1
TEL:0744-47-7001
URL:https://www.hasedera.or.jp/
コメント