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平安神宮 京都市民の力が成した、復興と未来を願う神社。

神宮外観

桓武天皇をお祀りする神社として建立された平安神宮。京都市民の力により、京都復興を願い建てられたまさに「地域に根差した神社」です。地域と共にあり続ける一方で、関西では言わずと知れた名のある神社です。

「京都の神社と言えば平安神宮」と思い浮かべる方も多いと思います。一方で、まだ訪れたことがないという方のために、訪れるのがもっと楽しみになるような、平安神宮の魅力をお届けします。

目次

平安神宮とは

空撮

その歴史は神社としては非常に新しく創建は明治28年(1895年)。日本の都が京都から東京へと移る過渡期で、京都全体が衰退していた頃でした。そんな京都を元気づけようという思いで建てられたこの神社には市民の方々の熱い思いが詰まっています。

市民の憩いの場として、京都の観光名所の一つとして栄えてきた平安神宮。明治から令和へと時代が移った現在でも、桓武天皇への想い、そして伝統を守り続ける使命感は薄れていません。この先も何十年、何百年と受け継がれていくその志は京都の地や人々にとって何にも代えがたい財産であり続けるでしょう。

【平安神宮 特別インタビュー】

大鳥居

JR京都駅からはバスの利用で、地下鉄「東山駅」からも徒歩10分と、アクセスの良い利便性の高い場所に位置しているにも関わらず、その境内へ足を一歩踏み入れると別世界へ来たような静けさと心地よさを感じます。

そんな平安神宮について、まだ参拝をしたことがないという方にお越しいただけるような魅力を、神宮の方にお伺いしました。

「未来」を願い建てられた、新しい神社。

応天門
編集部

まずは、この平安神宮の歴史についてお伺いできますか。

神宮職員

創建は明治28年ですので、神社としては非常に新しいと言えます。当時は日本の都と言えば京都でしたが、ちょうどその頃は東京へ都が遷る時期でした。都が移れば、公家や有力な商人などもそちらへ移ることになります。そうなると、京都の人口が減ってしまうわけです。当時はもともと京都にいた人口の3分の2程度まで減少し、京都全体の経済なども少し活気を失いつつある時期でした。

編集部

今の京都の様子からはまるで想像ができません。
それが創建のきっかけとなったんでしょうか。

神宮職員

そうです。元気のない京都を何とかしなければ、と京都市民自らが立ち上がり、勧業博覧会が計画されました。それと同時にこの平安神宮の建設案が浮上しました。平安京をお造りになった桓武天皇をお祀りし、もう一度京都を元気づけよう、そんな思いで建てられました。

編集部

京都復興のための神社というわけですね。
京都市の人々自らが立ち上がって、という部分にこの地に暮らす人々が自分たちの故郷をいかに愛しているを感じます。

神宮職員

ええ、まさにそうです。自分たちの町は自分たちで立て直そうという気持ちがあったんですね。他の神社様ですと、古文書などをめくって「こういった話が残っている」という、伝承に近いようなお話しもたくさんありますが、平安神宮は新しい神社ですからそういった創建のきっかけなどがハッキリと記録に残っているのが特徴です。

編集部

創建当時から神社の姿は変わっていないんでしょうか。

神宮職員

いえ、そうではないんです。実は現在の御本殿は明治創建から数えますと3代目の御本殿になります。創建当初は桓武天皇のみをお祀りしていましたが、昭和15年に明 治天皇の父親にあたる孝明天皇をお祀りしようということになり、その時一度リニューアルしています。その後昭和51年に放火される事件があり、昭和54年に新しく社殿が建てられました。

編集部

放火ですか!それはまた残念な事件でしたね。

神宮職員

そうですね、残念なことでした。ですが、現在の社殿は国内でも最大級の規模を誇る大きさでとても見応えがありますよ。

創建130年に向けたイベント

路面電車
編集部

では、神社でのメモリアルなイベントなどの予定はありますか。

神宮職員

令和7年に創建から130年を迎えます。その創建130年祭に向けてクラウドファンディングを利用して京都の路面電車を綺麗にしようという動きがあります。綺麗に甦らせて、現在有料区画に置かれている車両を無料区画に移動させて市民や観光客の方に見ていただこうという事業です。

編集部

路面電車ですか!関西ではなかなか乗れる地域が少ないというイメージなのでそれは貴重なイベントですね!

神宮職員

ええ、ぜひ皆さんにお越しいただきたいです。電車自体は劣化していますので中に乗ることはできませんが、外から見ても楽しめるイベントにしたいと考えています。また、今年の8月1日から普段は入れないご本殿の周りにも入ることができる「御垣内(みかきうち)特別参拝」も実施しています。

編集部

他に神社建築の特徴は何かありますか。

神宮職員

神宮内の庭が特徴的です。七代目小川(おがわ)(じ)兵衛(へえ)という明治に活躍した庭師の方が造園された庭なのですが、神宮を訪れた時にその背景にある比叡山や大文字山をわざと目に入るように設計し敷地を広大に見せる借景の技法を取ったそうです。ですから訪れた方は町中から自然の中に入り込むような感覚になり、「別の世界に来たみたい」と仰る方は多いですね。海外から来られた方もよく写真を撮影されていますよ。

編集部

なるほど!確かに日本的な情緒を感じられる風景かもしれませんね。

神宮職員

他には、夏の時期には「七夕風鈴祭り」というイベントも実施しています。社殿のほか、神宮内の池の橋にそれぞれ1000個ずつ程の風鈴を下げ、涼しさを演出しています。神社という空間だけでなく耳でも日本らしさを感じてもらえるので、こちらも海外からのお客様に人気です。

編集部

それは素敵ですね!風鈴の音は涼しさを思い起こさせますから、私もぜひ一度その時期に訪れてみたいです。ちなみに、その風鈴祭りには来られた方が参加できる行事はありますか。

神宮職員

はい、300円を頂いていますが短冊にお願いごとを書き風鈴の下につけることができます。みなさん書かれていく方が圧倒的で、これだけ多くの風鈴を見られる光景はなかなかないので写真もたくさん撮られていきますよ。強風の時などは賑やかなほどです(笑)

市民の尽力が光る、伝統の時代祭。

時代祭
編集部

元々は、市民の尽力により建立された神社ということですが、現在でも地元の方との交流イベントはあるんでしょうか。

神宮職員

ええ、もちろんです!京都では三大祭りと呼ばれている「葵祭」「祇園祭」「時代祭」がありますが、そのうち時代祭を平安神宮で行っています。主催しているのは平安講社という団体で、京都市の各地区の市民から成り立っている組織です。

編集部

これも市民の方が主となる組織なんですね!本当に地域の方に愛されている神社だということが分かります。

神宮職員

ありがたいです。その時代祭では京都御所から平安神宮までの行列ができるんですが、これは延暦時代から明治維新までの時代を表しています。毎年10月22日の時代祭には必ず組織委員の方たちには参加してもらっています。神宮内では一番の大きな行事です。

編集部

平安講社はどういった方で構成されているんでしょうか。

神宮職員

各地区の土地の名士の方や町内会長をされていた方など、地区内でも名のある方が代表を務められています。

編集部

本当に本格的に活動している組織なんですね!お祭りの行列には男女問わず参加されているのでしょうか。

神宮職員

もちろんです!鎧姿の武将などは男性の方がされていますが、紫式部や清少納言などの扮装は舞子さんなどにお願いしていますよ。また、宝物(ほうもつ)を持って歩くアルバイトの方などもいらっしゃいますが、そちらは京都の学生さんなどにお願いしています。甲冑や鎧などは平安公社が所有・管理しているものを使用しており修繕費なども公社が負担していますが、そこへ集まってくるお金は各地区の皆様から頂いているものですので、回りまわって京都市民の皆さんでお祭りを実施しているという形になります。

編集部

なるほど!直接お祭りの行列に参加するなどの行動はなくても、そういった部分で皆さんお祭りに関わっているんですね。見物に来られる方も相当な人数だとお見受けしますが。

神宮職員

令和5年度では6万8000人の人出がありました。また、要所には見物用の座席が用意されています。一部の場所ではありますが、できるだけ体を休めながら見ていただくことができるよう工夫しています。

建設予定地に、まさかのアレを発見!?

編集部

では、神社にまつわるエピソードなどはありますか。

神宮職員

たとえば、神社の建設場所でしょうか。当初の計画では現在建てられている場所よりももう少し東寄りの場所に建設予定でした。ところが、建設途中で予定地である場所に歴代の天皇陛下のお墓である陵墓参考地が発見され、そこに建てるわけにはいかず現在の場所に、ということになったようです。

編集部

なるほど、陵墓参考地は保存しなければなりませんものね。現在でもその場所は守られているんでしょうか。

神宮職員

ええ、そこは現在でも宮内庁が管理する土地となっており年に数回宮内庁の方が点検などに来られています。神聖な場所ですから、そこは神宮の職員でも立ち入ってはいけない場所なんです。当初の計画とは少し違う場所にはなりましたが、結果的にとても良い場所に建てることができたと感じています。

神社でのイベント

大儺(だいな)の儀

毎年4月15日、桜が散り始める頃に神社での春の例祭が行われ、勅使(天皇陛下の使者)が神社へお越しになりお供えを頂いています。2月の節分行事も平安神宮のものは少しユニークなものです。他の神社では鬼が出てきて豆をまき退治する、というのが一般的ですが、平安神宮では平安京の時代にどのような儀式が行われていたか、という史実を大学教授などの意見を参考に「大儺(だいな)の儀」というものを再現しています。これは、陰陽師が鬼を退治するという儀式で、このように当時のものを再現した節分行事は全国でも珍しいものです。

 また、顕著なのは神宮での結婚式。年間に執り行われる式件数はおおよそ800~1000件。一日の最大件数では13件ほど執り行われる日もあります。関西では有数の神前式の場所として知られ、披露宴会場は立派な庭に面しているため国の名勝である美しい庭園を眺めながら披露宴ができるという点が評価されています。特に、日本人と結婚された外国人の方などは、日本らしさを感じられる会場は貴重ということで選ばれる方もいらっしゃるようです。

今後の展望

目下の目標としては、創建130年に向けた「130年祭」を成功させること。社殿の塗り替えや路面電車の修繕をしっかりと進め地域の方々だけでなく京都を訪れる全ての方に楽しんでいただきたいと思っています。

今後、長い時間をかけて努力していきたいこととしては時代祭りへの地域の方の興味を喚起することです。元々は市民の力で京都復興を目的として建設された神社ですが、時代の移ろいと共にお祭りへの参加者は減少しているという事実もあります。見物に来られる方だけでなく、行列や裏方として参加してくださる方を増やしていきたい、その思いを胸にこの先も尽力していきたいと考えています。時代は変わっても伝統は変わらない。この平安神宮からそれを伝えていくことが使命でもある、そう感じています。

京都市民の京都への愛によって誕生した平安神宮。現在も関西ではもちろん全国でも名高い神社として名を馳せています。七五三や結婚式ではもちろん、人生の節目で多くの方に参拝され、時には著名なミュージシャンが奉納コンサートをされるなど様々な場面で利用されています。時代祭りなどの伝統行事を守りながら、現代の時代変遷にも柔軟に対応する。そんな神社だからこそ今日にいたるまで多くの方に愛されてきたのでしょう。京都のシンボルとしてこの先も京都の人々の暮らしを見守り、その広大な敷地で訪れる人を温かく迎え入れるでしょう。

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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